抄録
野生チンパンジーの生息国に暮らす人々は、チンパンジーとの共存経験に基づく「在来知」としての知識や価値観を有してきた。一方、先進国では、主にアフリカから輸入された個体を対象とする研究や展示飼育を通じて、「科学知」に基づいた知識体系と価値観が形成されてきた。こうした異なる知識と価値観は、現在のチンパンジー保全・保護の実践において交錯しており、本来は相互理解に基づく協働や、現地住民主体の取り組みが理想とされるものの、実際には欧米主導の構造が色濃く残っている。これまでの研究では欧米的な動物福祉や野生動物保全の視点に基づく議論が主であり、現地実践者の知識と経験に着目した実証研究は限られている。異なる知や価値観がどのように位置づけられるかは、実践の持続可能性や現地関係者の主体性にも関わる重要な問題である。本研究は、先進国および野生チンパンジー生息国における知識と価値観の歴史的・文化的背景を文献調査により整理し、西アフリカ・シエラレオネにあるチンパンジー保護施設(サンクチュアリ)における参与観察および聞き取り調査を通じて、異なる知識や価値観がどのように混在し、現場の実践に反映されているかを明らかにすることを目的とする。本研究は、脱植民地主義的観点から野生動物保全の現場を捉え直す試みでもある。本発表では、2022年から2025年にかけての通算19ヶ月間のフィールドワークをもとに、飼育や治療・介護といった日常的実践に着目し、現地職員と欧米出身スタッフ・ボランティアの言動とその背景にある知識体系の相違を分析する。特に、飼育やケアの方法をめぐって欧米のアプローチが規範的に受容され、現地職員がそれを「学ぶ」構図が観察された点に着目し、こうした実践における協働のあり方と脱植民地化の課題を考察する。