抄録
ニホンザルの子は授乳を試みる際に鳴くことがあり,これは授乳要求のシグナルであると考えられている。授乳を試みた際に子は母親に拒否されることがある。子の鳴き声が授乳要求のシグナルとして機能しているのであれば,授乳の試み時に子が鳴けば母親は授乳を許しやすくなると考えられる。正直な信号仮説では,鳴き声などのシグナルにコストが伴うことで正直さが担保され,受信者はそのシグナルに反応すると考える。子の鳴き声にコストが伴うのであれば,授乳成立割合を高める効果があるとしても,既に十分授乳の成立が期待できる場面では子は鳴かないと考えられる。そこで本研究ではニホンザルにおいて,授乳の試み時に子が鳴くと母親が授乳を許しやすくなるか,そして授乳の成立割合が高い場面では低い場面に比べ子が鳴き声を発する割合が低いのかを検証した。勝山集団と地獄谷集団のニホンザルにおいて,1歳の子とその母親23組を対象に,1組あたり10時間の観察を行った。子が乳首に口を近づけて授乳を試みた際の鳴き声の有無,母親が行っていた行動,授乳が成立したかを記録した。子が鳴きながら授乳を試みた際には授乳の成立割合が増加した。この結果は鳴き声が授乳拒否を抑制する,授乳要求のシグナルとして機能していることを示唆している。母親が,他個体を毛づくろいしている際や,自己毛づくろいしている際に子が授乳を試みると,子は拒否を受けやすかった。子は母親が他個体を毛づくろいしている時に鳴き声を発する割合が高かった。子が拒否され,授乳の試みを繰り返すごとに授乳の成立度は減少していった。子は授乳の試みを繰り返すごとに,鳴く割合が高まった。授乳の成立割合が高い場面では低い場面に比べ子が鳴き声を発する割合が低いということが示された。コストがなければ,常に鳴く戦略が子にとって有利になると考えられるため,この結果は子の鳴き声にコストがあることを間接的に示唆している。