2021 年 57 巻 p. 109-135
本稿の目的は、「開発主義」を分析視覚に用いて、東電福島原発事故後の「復興」が、日本の開発体制の変遷の中でどのような意味を持ったのかを明らかにすることにある。
日本の原発政策は、経済成長の達成と国力の強化を第一義的国家目標に据える開発主義体制のもと、手厚い保護下で推進されてきた。3.11後の「復興」は、この体制下で「日本経済再生」を最優先に展開されたものであり、事故を経ても原発の重要性が強調されるに至っている。
その一方で生命に関わるリスクは過小評価され、環境中に放出された放射性物質の処理など、今も置き去りにされている被害がある。こうした困難な問題に対し、現行法との整合性が取れない対処法が積み上げられ、ジョルジョ・アガンベンがいう「例外状態」が常態化している。
このように核の「平和利用」は、破局的被害を生む核が必然的にもたらす乗り越え難い被害を、周辺と未来世代に転嫁して成り立つ。原発事故は、この構造的暴力を露呈したが、「復興」は再びこれを不可視化する役割を果たしつつある。
他方、中央集権的成長戦略が地域社会の平和に結びつかないことに気づき始めた市民社会では、生存基盤の自律性を回復するための実践が動き出している。原発による被害の再生産を回避するには、経済成長を至上とする開発主義の解体とともに、「地域民衆の平和」を求める実践のグローバルな連帯こそが重要である。