平和研究
Online ISSN : 2436-1054
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巻頭言
依頼論文
  • ロニー・ アレキサンダー
    2025 年64 巻 p. 1-38
    発行日: 2025/07/15
    公開日: 2025/07/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、ジェンダーを中心に既存の平和学に対して批判的な眼差を向ける。女性や多様な性・ジェンダーを取り上げるのみならず、不平等な二項対立に基づくアプローチやジェンダー化された方法論にとって代わるものの必要性を訴え、私が思い描く平和やそれに伴う平和学のビジョンについて述べる。より多様で豊かな創造性を引き出すために、そのビジョンを色鉛筆で描くという比喩を用いるとともに、各節の冒頭にねこのポーポキと友だちのうさぎによる対話で構成される「絵物語」(art story)を入れ、読者に思考的分析以外の自らの感情や気持ちを引き出す。複数のテーマから成り立つ本論の前半では、オードリー・ロードに倣って「主人の家」(本稿の文脈でいうと軍事主義や軍事基地)はレイシズムなどが潜む「主人の道具」(二元論的なアプローチや多様な性・ジェンダーを認識しない、場合によっては不可視化する学問)では解体ができないとし、既存の平和学を問う。後半では表現方法という道具に目を向けて、フェミニスト方法論からヒントを得ながら物語やナラティブ、対話について論じる。本稿を通じて、すべての性・ジェンダーの真の平等を前提とする、誰もが安心できる「みんなのおうち」の構築が必要だが、既存の色彩や線、色鉛筆そのものだけで描こうとしている平和と平和学の関係性を十分に表すことはできず、現在の「主人の家」の解体や新しい「おうち」の構築に向けて、ジェンダーに積極的に目を向けることは欠かせないと結論付ける。

  • 髙良 沙哉
    2025 年64 巻 p. 39-60
    発行日: 2025/07/15
    公開日: 2025/07/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、沖縄における米軍基地と、軍事性暴力に焦点を当てる。平時の沖縄で人々は、基地被害と隣り合わせで生活している。特に重大な問題の1つが軍事性暴力である。

    沖縄では、戦時から戦後の現在も軍事性暴力が起こり続けている。過去の「慰安婦」問題と現代の沖縄における軍事性暴力の間は繋がっている。

    日本政府が「慰安婦」問題の責任に向き合い、真摯に対応してこなかったことが、現代における沖縄での軍事性暴力の軽視につながっている。「慰安婦」問題をはじめとする戦時の性暴力に関する問題が十分に議論されず、解決されてこなかった結果として、沖縄での米軍基地周辺での性暴力を軽視し、被害者に沈黙を強いる状況が残っているのではないか。

    軍事性暴力を含む基地被害が、基地が偏在する沖縄に多く発生する。軍隊の暴力性は、根深い性差別、民族差別、植民地差別に基づいて、沖縄の弱い立場の女性・少女たちに向けられる。軍事性暴力は、深刻な人権問題であり、安全保障を優先すべき問題ではない。本稿では、日米地位協定の不平等条項の1つである被疑者の身柄引き渡し規定、その運用改善、米軍犯罪の日米間の通報体制、米軍による対策の問題点にも触れ、それらが遅々として解決していないことを示す。

    軍事力の強化は、軍隊の持つ暴力性や、軍隊を支える家父長制的な観念、性差別、民族差別、植民地差別と密接であり、駐留受け入れ地域の日常の平和をないがしろにする危険性がある。

  • 高松 香奈
    2025 年64 巻 p. 61-81
    発行日: 2025/07/15
    公開日: 2025/07/15
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は女性を標的とする暴力に焦点を当て、とくに複層的な暴力の様相を照射することを通じて、人間ひとり一人の生存と尊厳は守られているのかという視点に立ち、人間の安全保障を考察することである。人間の尊厳を守ることを目指す「人間の安全保障」は女性を標的とする暴力にどう応答できるのか。そして暴力の不在を目指す平和研究はどう貢献できるのか、議論の提供を試みたい。

    国際政治で展開される安全保障の議論は、軍事的な面に傾注しており、より人間を議論の中心に据える必要性を、ジェンダーと国際関係の論者は主張してきた。これらの議論は、個人の安全に焦点を当てる人間の安全保障の議論と親和性を持つ。だが、「人間」という包括的な視点は、特定の個人が直面する脅威の把握を困難にする。また、人間の安全保障の議論において、ジェンダーの視点が不可欠であるという認識が共有されても、その認識は失われやすく、常に意識的でいることがとりわけ重要であることを指摘する。

    女性を標的とする暴力は、「暴力の三角形」の枠組みで説明されることが多い。しかし、本稿は構造的暴力や文化的暴力の側面への過度な注目が、暴力の意図の分析を希薄にしていると指摘する。そして、暴力の標的とされる側の立場をより脆弱なものにしているのではないかと問題提起をする。これは、女性を標的とする暴力が、構造的暴力や文化的暴力と無関係という意味ではない。構造も意図も、暴力を理解する上で相補的に重要であるが、女性がターゲットされた能動的な暴力の意図を把握することで、暴力の様相をより明らかにすることができると主張する。さらに、女性を標的とする暴力には、女性の政治参加への抵抗や民主的な社会の実現への抵抗などが指摘されてきたが、これらは既存の構造を土台とした、「伝統的」や「文化的」な価値への防衛行動というよりは、むしろ新たに差別的な認識を構成し、支配構造を構築する戦略と捉え、暴力の責任をより明確にする必要性を強調する。

    では、女性を標的とする暴力に対し、どのように応答することが可能だろうか。人間の安全保障の議論では、「保護」、「エンパワーメント」、「連帯」、そして「行為主体性」が強調されてきた。暴力や抑圧行動を誘引する規範や社会構造の再生産に加担しないように私たち一人ひとりが主体的に、自身の社会や周囲との関わりを総点検することや、暴力を容認しない意識を醸成することは不可欠である。しかし、データを参照すると、巧妙化する女性を標的とする暴力を処罰する法的な枠組みや政策が依然として十分に整っていない現状も指摘できる。ただ、法整備等の推進が政治に関わる女性を標的とする暴力を助長させるという、相互依存的な課題がある。同時に、ジェンダー平等を実現するための法整備や政策が、制度として浸透していなかったという問題も浮かび上がるため、制度全体としての見直しは必要である。

投稿論文(特集)
  • 米川 正子
    2025 年64 巻 p. 83-112
    発行日: 2025/07/15
    公開日: 2025/08/16
    ジャーナル フリー

    紛争下の性暴力が戦争の武器として役に立っているのは、加害者の不処罰以外に、被害者と彼らを保護すべき者が沈黙させられているためである。また紛争下の性暴力はコミュニティーと次世代の破壊、被害者とその家族の無力化、加害者の男性性の強化を引き起こす。このような状況は、征服者による大量な「望ましくない」集団の強制移住と弱体化、また「望ましい」土地や資源の略奪によって起きる。

    このような政治経済や強制移住と関連した性暴力は、豊富な鉱物資源を有する「望ましい」コンゴ民主共和国東部で起きてきた。隣国ルワンダがそこで戦争の武器を使用してきたのは、経済的および人口動態の動機を持っているためである。先行研究はコンゴ領土においてコンゴ軍等の高官へのインタビューをもとに、同軍兵士の「失敗した男性性」と性的欲望が性暴力を引き起こしたと論じたが、本研究ではルワンダが1996年にコンゴ東部に侵入して以来、武器として性暴力を使用してきたことを論じている。それが実現できたのは、ルワンダがコンゴ軍を含む武装勢力に侵入して支配し、現地の鉱山や住民も支配したためである。これにより、ルワンダ政府は武装勢力の覇権的男性性と軍事化された男性性を強化し、現地住民の男性性や士気を低下させ、コンゴ軍や男性市民が女性を保護できないように沈黙させてきた。ルワンダは土地と資源へのアクセスを得るために、この武器を使用して「望ましくない」コンゴ人を追放した。本論文は亡命中の元ルワンダ軍兵士らにインタビューし、戦術として性暴力を煽るというルワンダの未調査の役割を検証した初の研究である。

投稿論文(自由論題)
  • 安高 啓朗
    2025 年64 巻 p. 113-133
    発行日: 2025/07/15
    公開日: 2025/08/16
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、「政治」をノン・ヒューマンに拡張することを提唱する前田幸男『「人新世」の惑星政治学——ヒトだけを見れば済む時代の終焉』との対話を通じて、人新世時代における世界の構成(composition)のあり方を探ることである。「人新世」とは、人類の活動が地質学的な変化をもたらしていることを表す、新たな地質年代を指す。こうした人新世のインパクトを受け、国際関係論においてもポスト・ヒューマンやマルチ・スピーシズなどの多種多様な研究潮流が続々と登場している。本書もこうした流れを批判的に受け継ぎながら、人間とノン・ヒューマンとの新たな関係性を踏まえた存在論について考察した最新の成果として位置づけることができよう。そこで、本稿では惑星限界を迎えた地球において、人間とノン・ヒューマンとはどのような関係性を築くことができるのか、またそのための枠組みとはどのようなものかについて、本書が提案する惑星政治(学)の妥当性を検討する。その上で、人新世時代においては人間同士の関係のみを扱うことはもはや不可能であり、人間と他の生命、さらには活動空間を提供するマテリアルな惑星地球を考慮に入れざるを得ないという基本的な考え方に賛同しつつ、その具体化にあたっては、一足飛びに惑星「政治」を構想する前に、人間とノン・ヒューマンとの会話を豊かにしていくという意味での「外交」が必要であることを論じる。

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