本稿の目的は女性を標的とする暴力に焦点を当て、とくに複層的な暴力の様相を照射することを通じて、人間ひとり一人の生存と尊厳は守られているのかという視点に立ち、人間の安全保障を考察することである。人間の尊厳を守ることを目指す「人間の安全保障」は女性を標的とする暴力にどう応答できるのか。そして暴力の不在を目指す平和研究はどう貢献できるのか、議論の提供を試みたい。
国際政治で展開される安全保障の議論は、軍事的な面に傾注しており、より人間を議論の中心に据える必要性を、ジェンダーと国際関係の論者は主張してきた。これらの議論は、個人の安全に焦点を当てる人間の安全保障の議論と親和性を持つ。だが、「人間」という包括的な視点は、特定の個人が直面する脅威の把握を困難にする。また、人間の安全保障の議論において、ジェンダーの視点が不可欠であるという認識が共有されても、その認識は失われやすく、常に意識的でいることがとりわけ重要であることを指摘する。
女性を標的とする暴力は、「暴力の三角形」の枠組みで説明されることが多い。しかし、本稿は構造的暴力や文化的暴力の側面への過度な注目が、暴力の意図の分析を希薄にしていると指摘する。そして、暴力の標的とされる側の立場をより脆弱なものにしているのではないかと問題提起をする。これは、女性を標的とする暴力が、構造的暴力や文化的暴力と無関係という意味ではない。構造も意図も、暴力を理解する上で相補的に重要であるが、女性がターゲットされた能動的な暴力の意図を把握することで、暴力の様相をより明らかにすることができると主張する。さらに、女性を標的とする暴力には、女性の政治参加への抵抗や民主的な社会の実現への抵抗などが指摘されてきたが、これらは既存の構造を土台とした、「伝統的」や「文化的」な価値への防衛行動というよりは、むしろ新たに差別的な認識を構成し、支配構造を構築する戦略と捉え、暴力の責任をより明確にする必要性を強調する。
では、女性を標的とする暴力に対し、どのように応答することが可能だろうか。人間の安全保障の議論では、「保護」、「エンパワーメント」、「連帯」、そして「行為主体性」が強調されてきた。暴力や抑圧行動を誘引する規範や社会構造の再生産に加担しないように私たち一人ひとりが主体的に、自身の社会や周囲との関わりを総点検することや、暴力を容認しない意識を醸成することは不可欠である。しかし、データを参照すると、巧妙化する女性を標的とする暴力を処罰する法的な枠組みや政策が依然として十分に整っていない現状も指摘できる。ただ、法整備等の推進が政治に関わる女性を標的とする暴力を助長させるという、相互依存的な課題がある。同時に、ジェンダー平等を実現するための法整備や政策が、制度として浸透していなかったという問題も浮かび上がるため、制度全体としての見直しは必要である。
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