2022 年 58 巻 p. 71-93
「人新世」は、人類が地球を根本的に改変し、それが生物種の生息できない場所になりつつある時代を意味し、人類史における「近代」、すなわち、18世紀半ば以降、人類が化石燃料を大量に消費し、莫大なエネルギーを手にした時代に相当する。こうした危機からの脱出口を探るために、斎藤幸平は晩期マルクスの著作に「脱成長コミュニズム」なる考えを見出し、セルジュ・ラトゥーシュは、非マルクス主義の立場から、イヴァン・イリイチのコンヴィヴィアリティ」の概念にもとづく「脱成長」を提唱している。しかしながら、斎藤の主張は、革新的であるが容易には支持しがたく、ラトゥーシュによる近代批判は、幾分不徹底にみえる。これに対して、イリイチやラトゥーシュに影響を与えたモーハンダース・K. ガンディーは、近代文明を徹底的に批判し、手紡ぎを中心とする村落基盤の経済を理想とした。彼は、人間の「貪欲」がやがて「惑星的限界」に到達することに直感的に気づいていたとみられる。こうした姿勢は、「人新世」が突きつける諸問題への応答となりうる。人類は、その必要を根本的に削減し、身の丈の経済へと回帰しなければならない。それは、人類が、みずからの世代内および世代間のコンヴィヴィアリティを構築するにとどまらず、これを他の生命体にも敷衍して、地球における生命の流れの一プロセスとして慎ましく生きつづけることを意味する。