2020 年 20 巻 p. 76-86
本論考の主要な目的は,新型コロナ感染症(COVID-19)の世界的蔓延がトランス・ディシプリンとしての公共政策学に如何なる課題を突き付けているか,パンデミックの「解決」少なくともその沈静化に如何なる貢献をなし得るかを考察することである。その究極的主張は,新型コロナ感染症のような深刻な不確実性と複雑性,価値観の容易に調停し難い相克という厳しい制約条件――なわち,「悪構造性」(wickedness)――の下での喫緊かつ臨機応変の対処を要求する政策課題に対処するためには,専門性の活用が不可欠であると同時に.その「適切」な活用の意思と能力を有する政治的リーダーの存在(と,その卓越した資質と能力に相応しい活躍の場を提供すること)が強く要請されるということである。
国内外を問わず,EBPMに代表される専門性の活用を推進しようとする大方の研究者は,これまで概して,その都度の個別的政策に固有の(技術的)専門知の研究開発と,かくして定式化された専門知を成功裏に政策過程に反映させるような制度枠組みの探求とその不断の改良に取り組んできた。ただ,これらは公共政策一般わけても危機への迅速かつ的確な政策対応の質を向上させるための必要条件ではあっても,必要十分条件ではない。リーダーシップの研究が不可欠である所以であるが,コロナ危機に呻吟する日本と世界にあってその登場と活躍が今最も強く要請されているのは,専門家の進言に真摯に耳を傾けつつも,彼らに責任を押し付けるのではなく,自らの判断でしばしば「悲劇的選択」(tragic choice)を伴う重大な決断をなし,国民にどうしてほしいかを言葉を尽くして説明し納得を得ることによって国民の行動変容を促進し,事態の推移に応じた臨機応変の方針転換を厭わず,説明責任(アカウンタビリティー)を果たすことから決して逃げようとしない,そのようなリーダーである。
3.11とその直後の炉心溶融事故という悪夢としか言いようのない現実を目の当たりにして.多くの政策知識人は日本の政治行政及び政策決定・政策勧告システムに致命的欠陥があることを思い知らされた(筈である)。にもかかわらず,10年近くの歳月を隔てた今,我々の眼前に広がるのは,あの時と見紛うばかりの「政治的リーダーシップの迷走」と「政治と適切な距離を保つことのできない専門家」の姿である。危機を好機と捉え,今度こそ抜本的システム改造を実現せねばならない。