抄録
「七条令解」「七条一坊家地手継券文」について、一〇世紀までの段階と一二世紀初頭との間には、様式上の大きな差異とともに、価格の上でも大きなギャップがあることがわかる。宅地売券が増える一一世紀末以降の個別事例や統計的数値を検討すれば、「七条一坊家地手継券文」の値が孤立した例でないことが知られる。また田畠価格との格差に注目すれば、一〇世紀までの段階と一一世紀末以降とでは、やはり格段の差があることがわかる。なお、一〇世紀までの平安京、長岡京・平城京段階については史料が少なく一般化に問題を残すが、田畠等との価格格差に関しては大きな差がみられなかった。
このように一一世紀をはさんで、平安京宅地価格が高騰する原因を考える上で、受領層の宅地売買が目につくようになることが注目される。すなわち、一般に考えられている左京への人口集中、商工業の発展などの要因のほか、受領層の富がそれら京の発展と連動して、宅地そのものが経済的な意味での価値を有する方向に大きな役割を果たしたのではないかと推測した。