洛北史学
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論説
装束からみた豊臣政権の支配秩序
寺嶋 一根
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2015 年 17 巻 p. 68-92

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抄録

多くの公家衆が揃って豊臣秀吉のもとに参集して御礼を行う「惣礼」の形態は秀吉の政治的地位の上昇にともなって変化している。天正一二年から堂上公 家衆は室町期・織田期における武家権力者との対面儀礼の先例に則り、惣礼の際に「直垂」を着用した。これは秀吉の関白就任によっても変わることはなかった。秀吉は、天正一五年以降、官位・家格を利用することで惣礼を公家・武家全体を包括する秩序編成の場に改編するとともに、儀礼空間における「衣冠化」をすすめた。こうして、豊臣政権の支配秩序に応じた服装区分は完成したが、装束から見た場合、豊臣家は摂関家の一つでしかないという問題点が残った。そこで、文禄四年にいたって、秀吉は天皇装束である「引直衣」に「唐冠」という全く新しい組み合わせで参内を行い、慶長二年には秀頼とともに惣礼の場でもこれを着用することで、豊臣家の絶対性を示すにいたったのである。

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