本論文は、1918年に兵庫県によって明石城址に開設された明石公園のその後の拡張と整備の過程及びその中での風致の位置づけを明らかにした。公園は御料地の一部を借りて開設されていたため、狭く不充分だった。そこで兵庫県は1922年に公園の北にある森林の御料地を借り増し、1924年に拡張の整備が竣工した。この整備では、近世の空間の履歴との関係はみられなかった。その後、兵庫県は公園用地と残りの御料地を含めて政府から有償の払い下げを受け、1929年から拡張を伴う公園の整備が進められた。その過程では、野球場整備のため、樹木の伐採や濠の埋め立てがされた。風致や遺構の保存よりも、近代的な公園施設の整備が優先された。