花街は日本の伝統文化を包括的に継承する貴重な歓楽空間である。近代花街の変遷を明らかにする上で、その成立史に深く関わる遊廓の変遷を把握することは必要不可欠と言える。本研究は、新潟県における近代の遊廓の変遷を明らかにすることを目的とし、遊廓を構成する貸座敷数及び娼妓数の推移を地区単位で明らかにする。主な結果は以下の通りである。(1)貸座敷数は明治16年の538軒が最多であり、明治中期から後期にかけては増減の両傾向が見られたが、明治末期以降は緩やかな減少傾向となった。貸座敷は料理屋・芸妓とは異なり、待合に似た推移の傾向が確認された。(2)娼妓数は大正4年の1822人が最多であり、明治初期から大正初期にかけて増減を繰り返し、その後昭和5年まで横ばいとなり、以降は減少傾向となった。娼妓は芸妓はじめ他の業種とは異なる推移の傾向であった。