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論文
取引コストを伴う最適消費・投資問題の進展について1
山嵜 輝吉川 大介
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2021 年 18 巻 p. 141-159

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要旨

本稿は、取引コストを伴う最適消費・投資問題に関する総説論文である。この問題は、1970年代に提起されてから現在に至るまで、多くの研究者の高い関心を集めてきた。長年の試行錯誤と研究の進展のなかで、数多の関連論文が存在するが、本稿では、問題解決に多大な貢献をした主要論文を歴史の順を追って解説する。問題の定式化について詳述した上で、特に、問題解法のアイデアと最適消費・投資行動の経済学的解釈に焦点を当てた概説を行う。

Abstract

This article is a review paper on Merton’s portfolio problem with transaction costs. This problem has been of great interest to many researchers since it was first raised in the 1970s. After many years of trial and error and research progress, this article addresses the studies that have made the greatest contribution to solving the problem, in historical order. After a detailed description of the problem formulation, we focus on the ideas of analytical methods to solve the problem as well as the economic interpretation of optimal consumption and investment.

1.  はじめに

本稿は、取引コストを伴う最適消費・投資問題に関する総説論文である。最適消費・投資問題とは、期待効用最大化の原則に基づき、投資家が消費と投資の最適行動を選択する意思決定問題である。その起点となったのは、ノーベル経済学賞受賞者のロバート・マートン教授が1960年代後半に提起した連続時間モデルの最適消費・投資問題であり、ファイナンスの研究者たちは、これをマートン問題(Merton’s portfolio problem)とよんだ。

当初から現在に至るまで、マートン問題の研究は様々な発展を遂げてきた。なかでも、Magill and Constantinides(1976)が初めて挑んだ「取引コストの導入による理論の拡張」は、その後の研究の一つの潮流となった。彼らは、証券の買値と売値の差額であるビッド・アスク・スプレッドをマートン問題に導入し、摩擦のない完全市場から取引コストを伴う不完全市場へと理論の拡張を試みた。ところが、当時の知識や解法では拡張理論を完成させることはできず、問題解決には数十年の月日と多くの創意工夫を必要とした。研究が始まってから40年以上経った現在でも、その一部は未解決の課題として研究者を悩ませている。そこで本稿では、取引コストを伴うマートン問題について、問題解決に貢献した主要な研究を歴史の順を追って解説する。

証券の取引コストには、売買委託手数料、タイミング・コスト、大量取引に伴うマーケット・インパクト、機会コスト、あるいは発注と約定の時間差に伴う遅延コストなど、いくつかの種類がある。Magill and Constantinides(1976)がマートン問題に導入したビッド・アスク・スプレッドは、代表的な取引コストであり、証券市場の流動性を測る指標としても知られている。

ビッド・アスク・スプレッドの重要性は時代の変遷とともに少しずつ変化している。研究が始まった1970年代は、主要国の株式市場であっても、ビッド・アスク・スプレッドは相応に広く、売買を繰り返すと投資の利益を食い潰すほど取引コストが嵩んだ。1980年代以降になると、イギリスや日本で金融市場の自由化が急速に進み、金融先進国の証券の取引コストは大幅に低下した。その後のインターネット取引の普及も取引コスト低減の後押しとなった。しかしながら、新興市場や流動性の低い金融商品の取引では、ビッド・アスク・スプレッドが投資パフォーマンスを左右する重要な要素であることに変わりはなかった。アジア通貨危機やサブプライム危機など、グローバルな金融危機の最中には、世界中の金融市場でビッド・アスク・スプレッドが急拡大したため、市場参加者はその重要性を再認識することになった。近年では、各国の取引所がミリ秒単位で証券を売買できる取引執行システムを提供しており、それを活用したコンピュータの自動売買による高頻度取引が拡大している。こうしたなか、ビッド・アスク・スプレッドの狭い成熟した証券市場であっても、売買頻度の急増に伴う取引コストの累積が問題視されるようになった。

以上のような実務的背景に対して、取引コストを伴うマートン問題の研究は、ビッド・アスク・スプレッドを踏まえた最適消費・投資行動の理論的根拠を与える。関連研究の多くは、諸概念の厳密な定義と定理・命題の証明によって緻密な数学の議論を展開しているため、難解かつ要点の掴み難い内容となっている。そこで本稿では、研究成果の本質的なメッセージを伝えるために、問題の定式化を丁寧に説明した上で、次の2つに焦点を当てた解説を行う。

1つは、最適消費・投資行動のミクロ経済学的な解釈である。完全市場のマートン問題の最適解は比較的簡明に解釈できる。例えば、投資家は保有する富の一定割合を消費に回すことが最適であり、投資比率は時間や資産価格の変化によらず一定に保つことが最適となる。主観的割引率の小さい投資家は消費の割合を抑え、リスク回避度の高い投資家は危険資産の投資比率を低めに設定することが合理的である、といった直感に沿った解釈が可能である。

一方、取引コストを伴うマートン問題は意思決定の状況がかなり複雑になる。ポートフォリオのリバランスと取引コストの抑制が相反関係になるので、各時点で危険資産を売買するのか、見送るのかの判断が先決問題となる。この状況判断のためには、安全資産と危険資産の限界代替率とビッド・アスク・スプレッドの関係性を考察する必要がある。取引コストを考慮した場合、危険資産の取引タイミングがとりわけ重要になるのである。

また、投資家の消費行動はビッド・アスク・スプレッドが摩擦要因となって抑制される。そのため、最適な消費量は保有する富の一定割合とはならず、消費性向が危険資産の価格水準に応じて変化するようになる。また、取引コストを考慮した最適投資比率は一定ではなく、消費性向の価格弾力性によって補正が加えられる。本稿では、以上のような最適解の解釈について、完全市場のマートン問題の場合と対比させながら詳しく解説する。

もう1つの焦点は、問題解法のアイデアである。完全市場のマートン問題に関する初期の研究では、確率制御理論の定石である動的計画法による解法が主流であった。その後、資産価格の基本方程式を応用したマルチンゲール法による解法が考案され、マートン問題の研究が確率制御理論の発展に貢献するという、逆の流れが生まれた。

一方、取引コストを伴うマートン問題の解法は、長い年月をかけて試行錯誤が繰り返された。問題の起案者であるMagill and Constantinides(1976)の発見的解法に誤りがあることが判明し、Davis and Norman(1990)は正しい解法を求めて、当時のファイナンス研究では斬新だった特異制御問題の手法を応用した。この解法は、危険資産の取引タイミングを特定するなど、一定の成果を上げたが、最適消費や最適投資比率の明示的な表現を得るには至らなかった。以降、問題の解を探る研究はしばらく停滞することになった。

新たな展開を切り開いたのはKallsen and Muhle-Karbe(2010)である。彼らは、取引コストを伴うマートン問題を取引コストのない問題へと変換する方法を考案した。その後、Choi et al.(2013)が変換後のマートン問題にマルチンゲール法を適用して、最適消費と最適投資比率の表現を得ることに成功した。また、Kallsen and Muhle-Karbe(2017)による最近の研究では、ビッド・アスク・スプレッドが狭いことを前提条件にして、最適解の近似公式を導いている。本稿では、以上のような問題解法について、数学の詳細には立ち入らずに、その概略を解説する。

次節以降の論文構成は以下の通りである。2節では、取引コストがない場合のマートン問題とその解法について説明する。3節では、取引コストを伴うマートン問題の定式化について詳述し、問題解法の概略と最適解の経済学的な解釈を説明する。4節では、取引コストを伴うマートン問題の一般化について紹介する。最後に5節でまとめと展望を述べる。

2.  取引コストがない場合のマートン問題

取引コストを考慮しない完全市場での連続時間の最適消費・投資問題は、Merton(1969, 1971)によって定式化され、消費と投資比率の最適解が導出された。これらの研究は後のMerton(1973)で異時点間資本資産価格モデル(Intertemporal Capital Asset Pricing Model:ICAPM)へと発展していく。本節では、3節以降で解説する「取引コストを伴う最適消費・投資問題」への導入的位置付けとして、Merton(1969, 1971)の最適消費・投資問題を紹介する。

ある投資家が危険資産と安全資産への投資を検討している状況を考える。時点tの危険資産の価格をStで表し、その瞬間的な変動幅が次の確率微分方程式に従うものとする。

  

d S t =μ S t dt+σ S t d W t . (2.1)

ただし、ドリフトμとボラティリティσは正の定数、Wは標準ブラウン運動である。一方、安全資産の単位時間あたりの収益率は金利rに等しく、一定であるとする。投資家の冨過程Xは投資の結果と消費のみによって変動すると仮定する。このとき富過程は次式に従う。

  

d X t = π t d S t S t +(1 π t )rdt X t c t dt. (2.2)

ただし、ctπtはそれぞれ時点tの消費と危険資産への投資比率である。予算制約(2.2)の右辺第1項の括弧内は、危険資産と安全資産のポートフォリオの収益率であり、第2項は消費した分だけ富が減少することを意味している。予算制約(2.2)は危険資産の保有数ψt=πtXt/Stを用いて、

  

d X t = ψ t d S t +( X t ψ t S t )rdt c t dt. (2.3)

と書き直すことができる。

マートン問題(Merton’s portfolio problem)とは、次式で定式化された連続時間の最適消費・投資問題である。

  

max c,π E 0 e ρt u( c t )dt . (2.4)

ただし、u(c)は消費cに対する効用関数、ρは投資家の主観的割引率である。すなわち、マートン問題(2.4)は、予算制約(2.2)の下で投資家の期待効用を最大化するために、最適な消費量と危険資産への最適な投資比率を探る問題なのである。なお本稿では、簡単のために、相対的リスク回避度1−γの冪型効用関数u(c)=cγを仮定する。

マートン問題の解となる最適消費 c t * と最適投資比率 π t * はそれぞれ次式で与えられる。

  

c t * =C X t , (2.5)

  

π t * = θ (1γ)σ . (2.6)

ただし、θ:=(μr)はリスクの市場価格(シャープ・レシオ)であり、Cは次式で定義される定数である。

  

C:= 1 1γ ργr γ θ 2 2(1γ) .

最適投資比率(2.6)は、マートン解(Merton solution)という名称で知られている。

消費と投資比率の最適解から、いくつかの重要な示唆が得られる。まずは、最適な消費量が保有する富に比例することがわかる。比例定数Cは金利とリスクの市場価格の市場環境要因と、リスク回避度と主観的割引率の投資家要因から構成され、富に対する消費の割合であることから、消費性向と解釈することができる。投資家が対数型効用関数を上回るリスク回避度(γ<0)を持つのであれば、市場環境がよいほど消費性向は高くなる。次に、主観的割引率の高い投資家ほど消費性向が高くなることがわかる。投資家が対数型効用関数(γ=0)を持つならば、消費性向は市場環境要因の影響を受けず、主観的割引率と等しくなる。

一方、最適投資比率は富の水準によらず一定となる。リスクの市場価格が大きいときには危険資産への投資比率は高くなり、危険資産のボラティリティが高く、投資家のリスク回避度が高い場合にはその投資比率は低くなる。ただし、最適投資比率が一定であるということは、ポートフォリオのリバランスが不要であるという意味ではない。富の水準と危険資産の価格は時間とともに連続的かつ小刻みに変動するので、投資比率を一定に保つためには、危険資産を常に売買しなければならない。ところが、ブラウン運動の性質により、微小な時間区間であっても、危険資産の売買頻度と取引量は無限大に発散してしまう。このように、非現実的な売買を含意してしまう点が、取引コストがない場合のマートン問題の欠点の1つである。

なお、期待効用最大化問題(2.4)では、永久生存の投資家を想定しているため、最適消費と最適投資比率は共に時間に依存しないことに注意が必要である。

マートン問題は厳密な定式化とその解の導出によって、最適な消費と投資に関する尤もらしい解釈を理論的に与えた。この解釈が以降の最適消費・投資問題に関する研究の基準となっただけでなく、問題の解法自体が高い関心を集め、ファイナンスや確率制御理論の重要な研究対象になった。以下の2つの小節では、取引コストがない場合のマートン問題の2つの代表的な解法を概説する。

2.1  動的計画法による解法

確率制御理論(stochastic control theory)では、観測可能な確率過程を観測過程、制御の対象となる確率過程をシステム過程、制御の手段となる確率過程を制御過程とよぶ。制御の評価は、あらかじめ設定した評価関数によって測定される。確率制御問題の主な目的は、評価関数を最大化するための最適な制御過程を求めることにある。マートン問題を確率制御理論の文脈で整理すると、危険資産の価格が観測過程、富がシステム過程、消費および投資比率が制御過程、そして投資家の期待効用が評価関数となる。以降では、マートン問題(2.4)を例に、確率制御理論の標準的解法である動的計画法(dynamic programming)の概要を説明する。

まずは、間接的効用を富の関数として次のように定義する。

  

J( X t )= max c,π E t t e ρs u( c s )ds . (2.7)

ベルマンの最適性の原理により、次のベルマン方程式を導くことができる。

  

max c,π A[J]+ c γ γ ρJ =0. (2.8)

ただし、Aは生成作用素(generator)である。(2.8)の左辺の最大化の一階条件は、

  

c= J x 1/(1γ) ,  π= θ J x σX J xx , (2.9)

となる。ただし、JxJxxはそれぞれ間接的効用(2.7)の一階および二階導関数を表す。一階条件(2.9)を(2.8)に代入すると、ベルマン方程式は

  

rX J x θ 2 J x 2 2 J xx + 1γ γ J x γ(1γ) ρJ=0, (2.10)

と書き直すことができる。ベルマン方程式(2.10)は間接的効用Jに関する二階非線形微分方程式となる。一般に、二階非線形微分方程式を解くことは難しいが、この場合には閉じた形式の解が得られて、

  

J( X t )= C γ1 X t γ γ , (2.11)

となる。したがって、一階条件(2.9)を満たす消費と投資比率はそれぞれ(2.5)と(2.6)に等しくなる。しかしながら、これらがマートン問題の最適解であると結論付けるのは早計である。ベルマン方程式の解(2.11)が実際に期待効用を最大化することを確認しなければならない。この確認手続きを検証ステップ(verification step)という。ファイナンスなどの経済学分野では、検証ステップを省略している文献もあるが、本来であればベルマン方程式を解くだけでは最適解の証明にはならないので注意が必要である。

2.2  マルチンゲール法による解法

マートン問題の解法として、Karatzas et al.(1987)Cox and Huang(1989)はマルチンゲール法、もしくはコックス・ホアン法とよばれる手法を考案した。この解法は資産価格理論の考え方を応用した手法であるため、ファイナンスの研究者にとっては大変見通しのよい解法となる。マルチンゲール法には、完備市場の汎用的な解法として便利である一方、非完備市場の場合には、その適用に難しさが存在するといった特性がある。以降では、マートン問題(2.4)への適用を例に、マルチンゲール法の概要を説明する。

本節で設定したマートン問題は完備市場であることに注意せよ。富は将来の消費を生み出すので、富過程は消費過程を原資産とする条件付き請求権の価格過程であると解釈できる。したがって、資産価格の基本方程式(basic pricing equation)より、次式が成り立つ。

  

X t =  E t t M s M t c s ds . (2.12)

ただし、Mは確率的割引因子(stochastic discount factor)である。完備市場であることから、確率的割引因子は、

  

d M t M t =rdtθd W t , (2.13)

として一意に定まる。このときマートン問題は、富の現在価値(2.12)を制約条件とする期待効用最大化問題となるので、ラグランジュの未定乗数法が適用できる。ラグランジュ関数は消費のみを変数とする関数として定義され、投資比率を陽に含まない。したがって、マルチンゲール法では、まずはラグランジュの未定乗数法で最適消費を求め、次のステップで最適投資比率を求めることになる。

ラグランジュ関数最大化の一階条件は、

  

c s = λ e ρs M s 1/(1γ) , (2.14)

となる。ただし、λはラグランジュ乗数である。一階条件(2.14)を富の現在価値(2.12)に代入することで、ラグランジュ乗数λが求まり、最適消費が(2.5)になることがわかる。

次に最適投資比率を求める。一階条件(2.14)と富の現在価値(2.12)より、富は確率的割引因子と時間の関数になることがわかる。したがって、伊藤の公式を適用すると、富過程の拡散係数は−XmθMtと表現できる。ただし、Xmは富の現在価値(2.12)のMtに関する一階微分である。他方で、予算制約(2.2)より、富過程の拡散係数はσπtXtと書けるので、富過程の拡散係数に関する同等性から、

  

π t = X m θ M t σ X t , (2.15)

が成り立つ。富の現在価値の一階微分Xmを具体的に計算することで、最適投資比率が(2.6)になることがわかる。

以上のように、最適投資比率の導出はデリバティブ理論における動的ヘッジ戦略のデルタを求める手順に類似している。また、マルチンゲール法では、動的計画法で定義した間接的効用を明示的に扱う必要がないという特徴がある。

3.  取引コストがある場合のマートン問題

Merton(1969, 1971)では、摩擦のない完全市場を仮定したが、実際の証券市場は明らかに不完全である。とりわけ、証券の取引コストは投資パフォーマンスに大きな影響を与える摩擦要因となり得るので、これを何も検証せずに捨象することはできない。こうした問題意識から、多くの研究者がマートン問題に取引コストを導入して、不完全市場への理論の拡張を試みてきた。取引コストには、売買委託手数料やタイミング・コスト、大規模取引に伴うマーケット・インパクト、機会コストなど、いくつかの種類がある。そのなかでも、本稿では、証券の売値と買値の差額であるビッド・アスク・スプレッド(bid-ask spread)に焦点を当て、これを考慮したマートン問題についての概説を行う。

3.1  問題の定式化

本節では、ビッド・アスク・スプレッドを考慮することで、2節で説明したマートン問題がどのように修正されるのかを解説する。

まずはビッド・アスク・スプレッドの定式化が必要である。危険資産の仲直(mid price)は確率微分方程式(2.1)に従うものと仮定する。時点tの仲直Stに対して、投資家の買値(ask price)を

  

(1+ϵ) S t , (3.1)

売値(bid price)を

  

(1ϵ) S t , (3.2)

とする。ただし、ϵは正の定数である。すなわち、投資家は仲直よりもϵStだけ高い価格で危険資産を購入し、仲直よりもϵStだけ低い価格で売却すると仮定するのである。取引コストの額は仲直に比例するので、こうしたビッド・アスク・スプレッドの定式化を比例取引コスト・モデル(proportional transaction cost model)とよぶことがある。比例定数ϵが大きいとビッド・アスク・スプレッドが広くなるので、このような証券市場は取引コストが高く流動性の低い市場と解釈される。なお、安全資産の取引にはコストが掛からないものと仮定する。

次に危険資産の保有数を再考しよう。ビッド・アスク・スプレッドによって発生する取引コストを把握するためには、危険資産の保有数を購入総数と売却総数に分けて管理する必要がある。なぜなら、購入と売却で危険資産の保有数は相殺されるが、取引コストは売買の都度累積され、その累積額は売買の履歴に依存するからである。初期時点から時点tまでの危険資産の購入総数と売却総数をそれぞれ ψ t + ψ t で表すと、時点tでの危険資産の保有数は次のように表せる。

  

ψ t = ψ t + ψ t .

したがって、時点tまでの危険資産の総取引数は

  

ψ t = ψ t + + ψ t ,

と書くことができ、初期時点から時点tまでの取引コストの累積額は次式となる。

  

ϵ 0 t S u dψ u . (3.3)

取引コストを伴うマートン問題では、最適投資比率へのリバランスと取引コスト(3.3)の抑制がトレード・オフの関係になる。例えば、取引コストのないマートン問題の解に則って、危険資産を有限時間内に無限回売買すると、取引コストの累積額は無限大に発散してしまい、明らかに最適な投資行動ではなくなってしまう。概して、取引コスト(3.3)は最適消費・投資問題におけるペナルティ関数の役割を果たすのである。

また、富過程は安全資産と危険資産に分解して把握する必要がある。なぜなら、ビッド・アスク・スプレッドの存在によって、リバランスしたときの保有資産の価値変化が危険資産と安全資産で非対称になるからである。

投資家が保有する危険資産の価値過程をZとすると、その瞬間的な変動幅は次式で表現できる。

  

d Z t = ψ t d S t + S t d ψ t + S t d ψ t . (3.4)

(3.4)の右辺第1項は危険資産の価格変化による既存ポジションの価値変動を表す項であり、第2項と第3項はそれぞれ危険資産の購入と売却に伴うポジション変動を表す項である。危険資産の保有価値は仲直で評価されていることに注意せよ。一方、投資家が保有する安全資産の価値過程をYとすると、その瞬間的な変動幅は次式で表現できる。

  

d Y t =r Y t dt c t dt(1+ϵ) S t d ψ t + +(1ϵ) S t d ψ t . (3.5)

(3.5)の右辺第1項は利息収入、第2項は消費支出を表す。第3項と第4項はそれぞれ危険資産の購入と売却に伴う安全資産のポジション変動を表す項である。危険資産の購入代金は買値で支払い、売却代金は売値で受け取るので、斯様な定式化となる。(3.4)と(3.5)を比較すると、危険資産の売買に伴う保有価値の変化が、危険資産と安全資産では非対称になることがわかる。

取引コストを考慮した富過程Xϵは安全資産と危険資産の価値過程の和なので、その瞬間的な変動は次式で与えられる。

  

d X t ϵ = ψ t d S t +r Y t dt c t dtϵ S t dψ t . (3.6)

上式と取引コストがない場合の富過程(2.3)を比較すると、両者の実質的な差異は、(3.6)の右辺最終項だけであることがわかる。ビッド・アスク・スプレッドの存在によって、富過程が取引コスト(3.3)の分だけ減額されるのである。

取引コストを伴うマートン問題は、(3.6)を予算制約とする期待効用最大化問題(2.4)として定式化される。また、間接的効用を時点tの安全資産の保有価値Ytと危険資産の保有価値Ztの関数として、次のように定義しておく。

  

K( Y t , Z t )= max c,π E t t e ρs u( c s )ds . (3.7)

(2.7)では、富の価値Xtの1変数関数として間接的効用を定義したが、(3.7)では、2変数関数としてこれを定義している。取引コストが存在するときには、危険資産と安全資産の保有価値の変化に非対称性が生じるので、資産の種別によって限界効用が異なる。それを考慮するために、間接的効用(3.7)では、資産別に引数を分けて関数を定義しているのである。問題の解を探る上では、安全資産と危険資産の限界代替率が重要な役割を果たすことになる。

最初に比例取引コストをマートン問題に導入したのは、Magill and Constantinides(1976)である。彼らは発見的手法によってその最適解を提示したが、後にDavis and Norman(1990)の指摘によって、解法の不備と解の誤りが判明した。以降、この問題の論点や解法は複数の研究者によって段階的に整理され、問題の本質が徐々に明らかになった。

取引コストを伴うマートン問題の主な論点は2つある。1つは、投資家の最適な取引タイミングである。取引コストを抑制するためには、あるときは危険資産の取引を見送ることが必要であり、適宜のタイミングで売買を執行することが最適な投資行動となるはずである。3.2節では、Davis and Norman(1990)の議論に沿って、最適な取引タイミングについての解説を行う。もう1つは、投資家の最適な消費行動である。3.4節では、Choi et al.(2013)による消費の最適解を紹介すると共に、ビッド・アスク・スプレッドが最適消費にどのような影響を与えるのかを説明する。有力な問題解法として、取引コストのあるマートン問題を取引コストのない問題へと変換するアプローチが、Kallsen and Muhle-Karbe(2010)Herczegh and Prokaj(2015)によって考案された。3.3節では、この変換について概説する。

3.2  ベルマン方程式と最適な取引タイミング

本節では、取引コストを伴うマートン問題の最適な取引タイミングについて解説する。

Davis and Norman(1990)は、この問題が確率制御理論における特異制御問題(singular control problem)であることを見抜き、次のベルマン方程式を導いた。

  

max c, ψ ± A[K]+ c γ γ ρK+ K z (1+ϵ) K y S t d ψ t + dt + (1ϵ) K y K z S t d ψ t dt =0. (3.8)

ただし、KyKzはそれぞれ間接的効用(3.7)の第1変数と第2変数に関する一階偏導関数を表す。上式と取引コストがない場合のベルマン方程式(2.8)を比較すると、その本質的な違いは、(3.8)の左辺第4項と第5項の追加された項にあることがわかる。以下では、これら2つの項から、最適な取引タイミングを計るための判別条件が導けることを説明する。

まずは、ベルマン方程式(3.8)の左辺第4項に着目しよう。(3.8)の左辺を最大化するためには、第4項を極大化する必要がある。そのためには、

  

K z K y >1+ϵ, (3.9)

となるときに、このベルマン方程式の制御変数である購入総数ψ+を増加させ、それ以外のときにはψ+を変化させなければよい。すなわち、危険資産と安全資産の限界代替率Kz/Kyが危険資産の買値と仲直の比率1+ϵを上回るときに限り、危険資産を買い増すのが最適な投資行動になるのである。危険資産の保有量の増額は限界代替率を低下させるので、一定量以上の危険資産を購入すると、不等式(3.9)は成り立たなくなる。

次に、ベルマン方程式(3.8)の左辺第5項に着目しよう。先ほどと同様に、(3.8)の左辺を最大化するためには、第5項を極大化する必要がある。そのためには、

  

K z K y <1ϵ, (3.10)

となるときに、制御変数である売却総数ψを増加させ、それ以外のときにはψを変化させなければよい。すなわち、限界代替率Kz/Kyが危険資産の売値と仲直の比率1−ϵを下回るときに限り、危険資産を売り払うのが最適な投資行動になるのである。危険資産の保有量の減額は限界代替率を上昇させるので、一定量以上の危険資産を売却すると、不等式(3.10)は成り立たなくなる。

図1では、安全資産と危険資産の保有価値を平面座標に取ったときの購入と売却の範囲を図示した。購入条件(3.9)が成り立つのは、図中の最も下に位置する斜線よりも下側の領域であり、これを購入領域(buy region)とよぶ。一方、売却条件(3.10)が成り立つのは、最も上に位置する斜線の上側の領域であり、これを売却領域(sell region)とよぶ。灰色の領域は

  

1ϵ K z K y 1+ϵ, (3.11)

を満たす範囲を示している。この範囲では、危険資産の売買を見送るのが最適な投資行動になるので、灰色の領域を非取引領域(no-transaction regionもしくはno-trade region)とよぶ。

図1 危険資産の購入・売却・非取引領域

(出所)Davis and Norman(1990)のFIGURE 1に基づき筆者作成。

結局、最適な取引タイミングは、非取引領域と売却・購入領域の境界線上、すなわち、不等式(3.11)の左右どちらかの等号が成り立つ瞬間ということになる。その結果、最適ポートフォリオは、非取引領域の内部に留まるようにリバランスされ、そこから出ることはない。

図中の非取引領域内にある鎖線は、マートン・ライン(Merton line)という名称で知られている。取引コストのないマートン問題では、常にこの直線上にポートフォリオを調整することが最適な投資行動となる。非取引領域はマートン・ラインを包含するくさび形の領域として図示される。ビッド・アスク・スプレッドが縮小すると、非取引領域は狭まるので、投資家の売買頻度は高くなる。そして、ϵがゼロに近づくと、非取引領域はマートン・ラインに収束するのである。

3.3  シャドウ・プライスとマートン問題の変換

3.2節で述べたDavis and Norman(1990)の動的計画法による解法では、ベルマン方程式(3.8)を解析的に解くことができないため、取引コストを考慮した最適消費の明示的な表現が得られないという問題があった。彼らの論文からおおよそ20年の歳月を経て、Kallsen and Muhle-Karbe(2010)はシャドウ・プライス(shadow price)という概念を導入し、取引コストを伴うマートン問題を取引コストのない問題に変換するという着想に至った。そして、この変換手法が問題解法の突破口になった。例えば、変換後のマートン問題にマルチンゲール法を適用することで、最適消費や最適投資比率の表現が得られるといった成果が上がり、その後の研究の一つの潮流となった。そこで本節では、シャドウ・プライスの概念とマートン問題の変換について概説する。

まずは、Guasoni and Muhle-Karbe(2013)に基づいて、シャドウ・プライスの定義を述べる。

定義1 取引コストを伴うマートン問題において、次の条件を満たす確率過程 S ^ をシャドウ・プライスという。

1.任意の時刻t>0に対して、 (1ϵ) S t S ^ t (1+ϵ) S t となる。

2. S ^ を危険資産の価格過程とする取引コストのないマートン問題を考えたとき、次式を危険資産の購入・売却条件とするような最適投資戦略が存在する。

(購入条件) S ^ t =(1ϵ) S t ,

(売却条件) S ^ t =(1+ϵ) S t .

この定義の条件1では、シャドウ・プライスはビッド・アスク・スプレッドの範囲内を変動する確率過程であることを要求している。条件2で想定しているマートン問題とは、次で定義される富過程 X ^ を予算制約とする期待効用最大化問題(2.4)である。

  

d X ^ t = ψ t d S ^ t +( X ^ t ψ t S ^ t )rdt c t dt. (3.12)

条件2では、この問題において、シャドウ・プライスが買値もしくは売値に触れたときに最適な取引タイミングとなることを要求している。

ここで3つの疑問が生じる。1つ目は、定義1の条件を満たす確率過程が果たして存在するのかという疑問である。これに関しては、Kallsen and Muhle-Karbe(2010)らがその存在を証明しており、シャドウ・プライスが矛盾なく定義されること(well-defiend)が担保されている。

2つ目の疑問は、取引コストを伴うマートン問題と条件2のマートン問題の最適解の関係性である。この疑問に対して、Kallsen and Muhle-Karbe(2010)は、対数型効用関数を設定した場合を調べ、互いの解が完全に一致することを示した。さらに、Choi et al.(2013)Herczegh and Prokaj(2015)は、冪型効用関数での解の一致性を証明した。これらの事実は極めて重要な発見であった。なぜなら、取引コストを伴うマートン問題の解を探る代わりに、シャドウ・プライスを仮定した取引コストのないマートン問題を解けば十分であることがわかったからである。この問題変換のアイデアによって、新たな解法の可能性が広がっただけでなく、最適解の表現や解釈にも大きな進展がみられた。

3つ目の疑問は、抽象的に定義されたシャドウ・プライスの表現形式である。シャドウ・プライスによって変換されたマートン問題を解くためには、シャドウ・プライスの具体的な表現形式を知る必要がある。この疑問に対して、Choi et al.(2013)は、冪型効用関数を設定したときのシャドウ・プライスが、次の確率微分方程式に従うことを証明した。

  

d S ^ t = μ ^ t S ^ t dt+ σ ^ t S ^ t d W t .

ただし、 μ ^ t σ ^ t はそれぞれ時点tのシャドウ・プライス S ^ t の確定的な関数である。取引コストの比例定数ϵはこれらの関数に埋め込まれることになる。Choi et al.(2013)はこれらの具体的な関数形を論文中のTheorem 2.8で与えているが、非常に複雑なので直感的な解釈は難しい。いずれにせよ、シャドウ・プライスのドリフトとボラティリティは、シャドウ・プライスそれ自身を状態変数として変動するのである。

表1では、シャドウ・プライスによる変換前後のマートン問題を比較した。取引コストを伴うマートン問題は、ビッド・アスク・スプレッドの存在によって市場の完備性が崩れるので、それが問題を困難にする一因となる。一方、変換後のマートン問題は摩擦のない完全市場になる。加えて、この市場の状態変数はシャドウ・プライス一つだけなので、危険資産と安全資産の売買によって、任意の条件付き請求権を複製することができる。すなわち、完備市場になるのである。

表1 シャドウ・プライスによるマートン問題の変換
変換前の取引コストを伴うマートン問題 変換後のマートン問題
取引コスト あり なし
危険資産の価格過程 dSt=μStdt+σStdWt d S ^ t = μ ^ t S ^ t dt+ σ ^ t S ^ t d W t
 ドリフト μ(定数) μ ^ t = μ ^ ( S ^ t ;ϵ) (関数)
 ボラティリティ σ(定数) σ ^ t = σ ^ ( S ^ t ;ϵ) (関数)
 リスクの市場価格 θ=(μr) θ ^ t =( μ ^ t r)/ σ ^ t
市場の完備性 非完備市場 完備市場
予算制約 富過程(3.6) 富過程(3.12)
期待効用最大化 max c,π E 0 e ρt u( c t )dt

(出所)筆者作成。

なお、変換後のマートン問題におけるリスクの市場価格 θ ^ t :=( μ ^ t r)/ σ ^ t は定数ではなく、シャドウ・プライス S ^ t の確定的な関数になることに注意せよ。

補足1 Guasoni and Muhle-Karbe(2013)Herczegh and Prokaj(2015)は、任意の時点のシャドウ・プライスが次式で表現できることを証明した。

  

S ^ t = K z K y S t . (3.13)

限界代替率Kz/Kyは非取引領域を規定する不等式(3.11)の範囲に収まるので、(3.13)はシャドウ・プライスの定義に合致することが確認できる。また(3.13)より、各時点のシャドウ・プライスと危険資産の仲直の大小関係は、限界効用KzKyの大小関係によって決まることがわかる。

3.4  マルチンゲール法と最適消費

シャドウ・プライスによって変換されたマートン問題は完備市場になるので、2.2節で紹介したマルチンゲール法が適用できる。すなわち、富過程 X ^ は消費過程cを原資産とする条件付き請求権の価格過程であると解釈できるので、資産価格の基本方程式より、次式が成り立つ。

  

X ^ t = E t t N s N t c s ds . (3.14)

ただし、Nは確率的割引因子であり、

  

d N t N t =rdt θ ^ t d W t ,

として一意に定まる。したがって、変換後のマートン問題は富の現在価値(3.14)を制約条件とする期待効用最大化問題となるので、マルチンゲール法の解法に沿って解くことができるのである。この解法の詳細については、例えば、Choi et al.(2013)を参照せよ。

Choi et al.(2013)では、マルチンゲール法の帰結として、取引コストを考慮した最適消費 c t ϵ の表現を次式で与えている。

  

c t ϵ = C ^ t X ^ t .

ただし、 C ^ t は次式で定義されるリスクの市場価格 θ ^ t の確定的な関数である。

  

C ^ t = C ^ ( θ ^ t ):= E t t e 1+η ρηr (ut) E θ ^ W u η du 1 . (3.15)

ここで、E(·)はDoléansの指数(Doléans exponential)であり、η:=γ/(1−γ)と置いた。

取引コストを考慮した消費性向 C ^ t はリスクの市場価格 θ ^ t の水準に応じて変化する。対数型効用関数よりも高いリスク回避度を持つ投資家(η<0)にとっては、消費性向(3.15)はリスクの市場価格の増加関数になるので、リスクの市場価格の上昇が消費意欲を高める要因となる。特別な場合として、対数型効用関数を持つ投資家(η=0)を考えたとき、その消費性向は主観的割引率と等しくなり、リスクの市場価格の水準によらず一定になる。この結果は、取引コストがない場合のそれと一致している。

さらに、Choi et al.(2013)は、取引コストを考慮した最適投資比率 π t ϵ の表現を次式で与えている。

  

π t ϵ = θ ^ t (1γ) σ ^ t d C ^ t d S ^ t S ^ t C ^ t . (3.16)

上式とマートン解(2.6)を比較することで、最適投資比率 π t ϵ について、いくつかの要点を指摘することができる。まずは、最適投資比率が一定ではなく、シャドウ・プライスの水準に応じて変化する点である。図1でみたように、取引コストを伴うマートン問題では、ポートフォリオをマートン・ライン上に固定させず、非取引領域内ではその変動を放置するのが最適な投資戦略となる。それゆえ、最適投資比率は変化するのである。次に、(3.16)の右辺第1項の解釈である。この項はマートン解と同様の解釈を与える。すなわち、リスクの市場価格が大きい場合には危険資産の投資比率を増やし、リスク回避度の高い投資家はその比率を減らすことが最適な投資行動になるのである。もう一つの指摘は、(3.16)の右辺第2項の意味付けである。この項は、消費性向の変化率とシャドウ・プライスの変化率の比、すなわち、消費性向の価格弾力性となっている。概して、取引コストを考慮した最適投資比率は、マートン解を消費性向の価格弾力性によって補正することで得られるのである。

4.  取引コストを伴うマートン問題の一般化

近年では、取引コストを伴うマートン問題の各種の構成要素を一般化する研究が進展している。例えば、Soner and Touzi(2013)Altarovici et al.(2017)Possamaï et al.(2015)は、投資家の効用関数を具体的に特定せず、リスク回避の性質を持つ抽象的な関数として扱った。また、Dai et al.(2009)Bichuch and Sircar(2019)は、投資期間を有限に制限して、時間の経過と最適消費・投資行動の関係を考察した。Atkinson and Ingpochai(2010)Bichuch and Sircar(2019)は、危険資産のボラティリティが確率的に変動する価格変動モデルを導入した。なかでも、Kallsen and Muhle-Karbe(2017)は、複数の構成要素を同時に一般化したマートン問題を考え、その最適解の近似公式を導いた。そこで本節では、Kallsen and Muhle-Karbe(2017)によるマートン問題の一般化について概説する。

4.1  Kallsen and Muhle-Karbe(2017)による問題の定式化

Kallsen and Muhle-Karbe(2017)はマートン問題の各構成要素を次のように一般化した。まずは、危険資産の価格過程の一般化である。彼らは、危険資産の仲直の変動過程Sが次の確率微分方程式に従うと仮定した。

  

d S t = α t S t dt+ β t S t d W t . (4.1)

ただし、ドリフトαとボラティリティβは非負の適合過程(adapted process)である。すなわち、危険資産の価格過程を幾何ブラウン運動(2.1)から伊藤過程(4.1)へと拡張したのである。

次に、ビッド・アスク・スプレッドを一般化した。危険資産の仲直Stに対して、投資家の買値を

  

(1+ κ t ) S t ,

売値を

  

(1 κ t ) S t ,

と定式化したのである。ただし、κは非負の適合過程である。すなわち、売買価格(3.1)-(3.2)の定数ϵを確率変数κtに置き換えて、確率的な取引コストを考えた。このとき、取引コストを考慮した富過程Xκの変動は次式となる。

  

d X t κ = ψ t d S t +r Y t dt c t dt κ t S t dψ t . (4.2)

なお、Kallsen and Muhle-Karbe(2017)では、確率過程κが比較的小さい値をとることを前提にしており、κ=0の周りでの近似を考えている。

さらには、効用関数と投資期間を一般化した。投資期間を区間[0, T]に設定して、富過程(4.2)を予算制約とする次の期待効用最大化問題を考えたのである。

  

max c,π E 0 T e ρt u 1 ( c t )dt+ u 2 ( X T κ ) . (4.3)

ただし、u1(c)は消費cに対する効用関数、u2(x)は投資満期Tの富xに対する遺産関数(bequest function)であり、遺産関数には遺産XκTの清算コストが反映されているものとする。彼らは、効用関数と遺産関数の関数形を特定せずに、リスク回避的かつ滑らかな関数であることだけを仮定した。特別な場合として、遺産関数を恒等的にゼロとして、投資期間を無限区間[0, ∞)にとると、上式は期待効用最大化問題(2.4)に一致することがわかる。

4.2  Kallsen and Muhle-Karbe(2017)の近似解

4.1節のマートン問題に対して、Kallsen and Muhle-Karbe(2017)は最適解の近似公式を与えた。彼らの導出した近似解は、取引コストがない場合の最適解を基準として、そこからの乖離を測る公式となっている。以降では、その一例として、最適消費の近似解を紹介する。その他にも、彼らは危険資産の非取引領域や総取引量の近似解を導いているが、これらの詳細については、Kallsen and Muhle-Karbe(2017)のSection 3を参照せよ。

Kallsen and Muhle-Karbe(2017)は、期待効用最大化問題(4.3)の解である最適消費cκtが次式で近似できることを示した。

  

c t κ c t 0 + C t 0 X t κ X t 0 . (4.4)

ただし、 c t 0 X0はそれぞれκ=0としたときの問題(4.3)の最適消費と富過程であり、

  

C t 0 := c t 0 X t 0 ,

は取引コストがない場合の消費性向である。

近似公式(4.4)の右辺第2項は、取引コストの有無による最適消費の差額である。一般に、消費性向は正の値であり、取引コストは富の減額要因になるので、この項は負の値となり、取引コストによる最適消費の減少額を近似する。この減少額は、取引コストの有無による富の差額に比例し、消費性向 C t 0 が大きいほどその影響は大きくなることがわかる。

5.  おわりに

本稿では、取引コストを伴う最適消費・投資問題に関して、研究の進展に沿って主要な論文を紹介した。表2は本稿で紹介した論文と研究概要の一覧である。これら以外にも、関連する研究は数多存在し、研究内容も広範かつ多岐にわたるので、以下では、今回の総説で取り上げられなかった論文のいくつかを列記する。

表2 取引コストを伴うマートン問題の進展
取引コストのないマートン問題 研究概要
Merton(1969, 1971 連続時間の最適消費・投資問題(マートン問題)を提起
動的計画法によって最適解を導出
Karatzas et al.(1987)
Cox and Huang(1989)
マルチンゲール法による解法を考案
取引コストを伴うマートン問題 研究概要
Magill and Constantinides(1976) 比例取引コストを導入
Davis and Norman(1990) 特異制御問題の解法を適用
購入領域、売却領域、非取引領域を特定
Kallsen and Muhle-Karbe(2010) シャドウ・プライスによるマートン問題の変換を考案
Choi et al.(2013)
Herczegh and Prokaj(2015)
変換後のマートン問題にマルチンゲール法を適用
最適消費の表現を導出
Kallsen and Muhle-Karbe(2017) 危険資産の価格過程、取引コスト、効用関数を一般化
有限な投資期間における最適消費や非取引領域の近似公式を導出

(出所)筆者作成。

問題設定の一般化として、Liu(2004)Possamaï et al.(2015)は、複数資産の取引コストを導入した最適消費・投資問題を提案し、その解法を研究した。一方で、Hobson et al.(2019)Choi(2020)は、低流動性資産と高流動性資産を区別して取引コストの定式化を行なった。ビッド・アスク・スプレッドに関する実証研究については、Roll(1984)Amihud and Mendelson(1986)Corwin and Schultz(2012)Abdi and Ranaldo(2017)Chen et al.(2018)など、多数の論文が存在する。特に、Menkveld(2013)Brogaard et al.(2014)Malceniece et al.(2019)らは、高頻度取引とビッド・アスク・スプレッドの関係を検証している。

もっとも、取引コストを伴う最適消費・投資問題の研究は、現段階ではなお発展途上にあり、残された課題も少なくない。この問題が、さらなる理論の拡張と実証の積み重ねによって今後も発展し、学術研究の対象としてだけではなく、金融実務に広く応用されることが期待される。

1  本研究は法政大学イノベーション・マネジメント研究センターおよびJSPS科研費18K01694の助成を受けています。

参考文献
 
© 2021 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター
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