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査読付き研究ノート
明治23年商法計算規定の制定の背景
―商法の形成過程に対する考察を中心に―
高野 裕郎
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2021 年 18 巻 p. 247-263

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要旨

本論文では、法制史の先行研究において明らかにされた複数の商法案およびその審議の議事録を手掛かりとして、明治23年商法公布に至るまでの経緯、商法案の規定内容の変遷および商法計算規定に関する審議の内容を分析することにより、明治23年商法計算規定の制定の背景について考察した。

本稿による考察の結果、明治23年商法計算規定の決定要因は、第1に、フランス・ドイツの商法を参考として、ロエスレルが財産目録・貸借対照表の作成および財産の時価評価を求めたこと、第2に、政治的・外交的理由から、その時最も現実的であった「ロエスレル草案」を原案とした商法の制定を政府が選択したこと、第3に、財産目録の作成と財産の時価評価規定に関して懸念があったものの、仮に商法計算規定の実施上の問題が生じた場合には、商法を早急に改正することで対応する方針とされたことという複合的な要因であったと言うことができる。

Abstract

This paper tries to clarify the reasons for the introduction of the Commercial Code accounting regulations of 1890 by describing the process Japanese Commercial Code’s process, which established in 1890, based on previous studies of the legal history.

The results showed that the determinants of the Commercial Code of 1890 were as follows.

First, Karl Friedrich Hermann Roesler proposed the preparation of inventory and balance sheet and the valuation of property at market value, referring to the commercial laws of French and German.

Second, for the political and diplomatic reasons, the government chose to enact a commercial law based on Roesler’s Draft, which was the most practical.

Third, Although there were concerns in accounting practice with respect to the property inventorying and mark-to-market provisions, it was decided that if problems with the implementation of the accounting regulations arose, the Commercial Code would be amended as soon as possible to address them.

1.  はじめに

明治23(1890)年商法(明治23年法律第32号)の計算規定は、会計史における先行研究では、その原案はロエスレル1(Karl Friedrich Hermann Roesler)が起草した商法の草案(以下、本草案を「ロエスレル草案」と呼ぶ)であったこと(黒澤, 1990)、会計規定の内容はドイツ商法の影響が強かったこと(安藤, 1997)、当時の会計実務にはなかった財産目録の作成義務および資産の時価評価規定が導入された結果として、当時の株式会社における英国流の会計実務と軋轢が生じたこと(片野, 1968千葉, 1998等)などが指摘されてきた。特に、「会計実務と商法計算規定の軋轢」という考え方は、戦前期日本会計制度史の展開を示す上での基本的な考え方となっている。

ところが、「会計実務と商法計算規定の軋轢」を生じさせる内容であった「ロエスレル草案」が採用された理由について検討した先行研究は、筆者が調査した限り存在しない。商法計算規定を設ける際に、規制当局がなぜ会計実務との軋轢を容認していたのかという、その後の会計制度の展開を理解するのに重要な規定の制定の背景の解明が見過ごされてきたと言える。そもそも、明治23年商法の商法計算規定の形成過程についての先行研究自体が少なく、高寺(1966)弥永(1990)長久保(2000)などにおいて断片的に採り上げられているに過ぎない。

先行研究が乏しい可能性として史料の制約が挙げられるが、法制史研究では、「ロエスレル草案」が起草されてから、明治23年商法が公布されるまでの形成過程に関する研究が蓄積されている。近年の研究である高田(2016)によれば、「ロエスレル草案」以外にも複数の商法案が作成されたが、商法の編纂が政治・外交に影響を受けて、紆余曲折した末に、明治23年に商法が公布された。ただし、法制史研究では、商法計算規定に対して検討が及んでいない。

そこで、高田(2016)などの法制史研究を手掛かりに、商法計算規定の変遷および商法計算規定に関する審議の内容を分析することにより、「会計実務と商法計算規定の軋轢」が生じた背景について検討したい。

本論文の構成は次の通りである。①「ロエスレル草案」の作成時期、②会社条例編纂委員・商法編纂委員会における検討時期、③法律取調委員会における検討時期の3つに区分して、商法計算規定の形成過程を示す。最後に、当時の会計実務と軋轢を生じさせるような商法計算規定を導入した理由について考察する。

2.  ロエスレルによる商法編纂

2.1  「ロエスレル草案」と「160条草案」の起草

ロエスレルは、1834年にバイエルンで生まれ、エルランゲン大学で普通法と教会法の学位を、チュービンゲン大学で国家法の学位を得た。その後、ババリヤ州で行政と司法の官吏試補、エルランゲン大学哲学科講師を経て、27歳でロストック大学の国家学の正教授となった。しかし、様々な理由から、ロストック大学を離れることになる。この時期に、日本特命全権大使青木周蔵は、公法学に関する外務省顧問としてロエスレルを雇うことを進言した。それが受け入れられ、ロエスレルはドイツ人法律顧問第1号として来日し、明治14(1881)年7月には太政官の法制部・会計部の顧問となった(伊東, 1976, 191–195頁)。

ロエスレルは、明治14年4月以降、商法の草案の起草に取り掛かることとなった。ロエスレルは商法をドイツ語で起草したため、太政官法制部の周布公平らがこれを翻訳する形で起草作業は進められたが、人員・組織が不十分であったことから、明治15(1882)年3月に参事院法制部に商法編纂委員が設置された。その後、ロエスレルがドイツ語で商法を起草し、商法編纂委員が草案の翻訳および各国立法の調査・翻訳を担当する体制で起草作業は進められた(高田, 2016, 691–693頁)。

明治17(1884)年1月に「ロエスレル草案」2は完成した。ロエスレルは、比較法的方法を用いて、フランス・スペイン・オランダ・ドイツ・イタリア等の商法典、不文法主義を採用しているイギリス・アメリカの特別法・判例学説をも参照した上で、商法の草案を起草した(伊東, 1976, 203–204頁)。また、その内容も、当時の日本の商慣行には合致しない最新の法制度を備えており、例えば、会社の設立については、許可主義ではなく、自由設立主義を採用した(川口, 2014, 239–240頁)。

一方、商法編纂委員は、「ロエスレル草案」が完成する前の明治15年9月に、160条から構成される商法草案(本論文では当該草案を「160条草案」3と呼ぶ)を参事院に上進していた。「160条草案」は、「ロエスレル草案」のうち、総則・会社・手形の部分について、商法編纂委員が審査を行い、至急を要する部分として、総則と会社法部分を商法案として取りまとめたものであり(伊東, 1976, 207頁)、その内容は、「ロエスレル草案」を大幅に縮小した上で、日本の実情に対応するために、株式会社の設立を許可主義とするなど基本的な変更を行うものであった(利谷・水林, 1973, 86–87頁)。

ロエスレルは「160条草案」に反発した。その理由は、ほとんど別案に近い内容となるまでの大幅な修正を加えたことであり、もう一つは、「160条草案」が当時の日本の商慣習を優先したことであった。商法編纂委員もこれに反論した。「160条草案」において「ロエスレル草案」を大幅に省略したのは、当時の商習慣に変更を加える規定を削除したためであった(『ロエスレル氏意見書ニ対スル答弁』4、1–2頁)。

このように、ロエスレルと商法編纂委員の間で商法編纂方針に対立が生じたが、この理由の一つには、参議山田顕義が、商法起草を二段階に分ける方針を採用したからのようである。第一段階では、ロエスレルが、各国の立法・経済を参酌して模範的な法案を作成し、第二段階では、商法編纂委員が日本の慣行を参酌し、商法施行上の問題を考慮して訂正を加えるというものだった(利谷・水林, 1973, 87–88頁;伊東, 1976, 202–203頁)。

続いて、「ロエスレル草案」と「160条草案」の計算規定を比較・検討する。この両者は、そのいずれも、総則において商業帳簿に関する規定を定め、さらに、株式会社に関する規定において、計算書類の作成義務等と配当規制に関する規定を定めていた。

2.2  「ロエスレル草案」における計算規定

「ロエスレル草案」の総則の商業帳簿に関する規定は、全部で11条(第32条~第42条)から構成された。具体的には、帳簿の作成義務(第32条)、「不動産動産ノ総目録」・「貸方借方ノ比較表」の作成(第33条・第34条)、商業帳簿の保管(第35条)、商業帳簿の閲覧制限(第36条・第37条)、裁判における商業帳簿の取扱い(第38条・第39条)および商業帳簿の証拠能力(第40条~第42条)について定められていた。

第32条では、商業帳簿の作成義務のほか、記載方法が定められている。具体的には、①各業種の慣習に従って商業帳簿を作成すること、②記載にあたっては順序を立て、明瞭に記載すること、③日々の取引、契約により生じた義務または他人の義務の受取り、商品の支払額・請求額、月々の家計の支払額およびすべての商業費用を記載すること、④小売取引は現金売りと掛売りを区別せずに、日々の売上総額を記載することとされた。

商業帳簿の作成義務は、各国の商法規定で定められていたが、その規定方法については、英米のように慣習に任せる方法、フランス商法等のように詳細に定める方法、ドイツ商法のように両者の中間にある方法の3つがあった(『ロエスレル氏起稿商法草案(第一冊)』5、308–309頁)。ロエスレルは、このうち、フランス商法を模範とした。これは、帳簿の虚偽記載、さらに詐欺の防止を図る点でフランス商法が最も優れているためであった(『ロエスレル氏起稿商法草案(第一冊)』、315頁)。

第33条は、「不動産動産ノ総目録」・「貸方借方ノ比較表」の作成および財産の時価評価に関する規定である。これらの書類の作成を義務付けたのは、諸外国の一般的な商慣習であるためであること、加えてこれらの書類が事業年度の結果を示すものであるためである(『ロエスレル氏起稿商法草案(第一冊)』、339–340頁)。また、すべての商品、「要求権利」6その他のすべての財産物件に対して当時の相場または時価を附さなくてはならないとされた。この時価評価規定は、ドイツ商法より導入したものであり、虚偽の価格、特に時価より高い価格を付すことを禁止することを目的とした(『ロエスレル氏起稿商法草案(第一冊)』、343頁)。

「ロエスレル草案」の株式会社における計算書類等に関する規定については、株主総会における書類決議義務(第238条)、株式会社の書類作成・公告義務(第268条)、書類の備置・閲覧許可義務(第273条)、配当に関する規定として、欠損の場合における配当禁止(第269条)、利益準備金の計上(第270条)が定められていた。

株主総会においては、前期の「計算書」、「比較表」、「業務結果」、「利ママ及ヒ利益配当案」を決議しなくてはならないとされた(第238条)。また、株式会社においては、半年ごとに決算し、「財産目録書」および「比較表」を作成し、これらを公告することが義務付けられていた(第268条)。さらに、本店・各支店において、半年毎の「決算書」および「比較表」等の備え置き、業務取扱時間中の閲覧を認めるとされていた(第273条)。

当時の株式会社において、決算書類の公表がすでに実務において行われていたにもかかわらず、「不動産動産ノ総目録」・「貸方借方ノ比較表」の公告をあえて求めたのは、株式会社の信用を高めることなどが目的であった(『ロエスレル氏起稿商法草案(第三冊)』7、196頁)。

なお、「貸方借方ノ比較表」は、ドイツ語では“Bilanz seiner Activen本文ママ und Passiven”であり、「比較表」はドイツ語では“Bilanz”であったが、ロエスレルによる逐条解説では「貸方借方ノ比較表」と「比較表」を同一に取り扱っていることから、いずれも貸借対照表に相当すると思われる。同様に、「不動産動産ノ総目録」と「財産目録書」はロエスレルによる逐条解説では同一のものとして取り扱われている。

配当に関する規定については、利益の配当は資本の減少がないときのみ可能であり、資本が不足する場合は、利益をもって補填すること(第269条)、会社の資本金額の4分の1に達するまで、利益の20分の1以上を準備金として計上すること(第270条)が定められた。

準備金の計上は、将来の損失を補填し、株式会社の資本を維持することが目的である。1867年フランス商法でも同様の定めがあるが、フランス商法では、準備金の積立額が会社の資本金額の10分の1とされており、この金額では1年間の損失が資本金額の10分の1を超えてしまうおそれがあることから、「ロエスレル草案」では、会社の資本金額の4分の1までとされた(『ロエスレル氏起稿商法草案(第三冊)』、200–201頁)。

2.3  「160条草案」における計算規定

「160条草案」の商業帳簿に関する規定は、全部で11条(第9条~第19条)から構成された。具体的には、商業帳簿の作成義務(第9・10条)、「財産目録帳」の作成義務(第11条)、帳簿の作成方法(第12条~第15条)、帳簿の保管期間(第16条)、裁判における帳簿の取扱い等(第17条~第19条)について定められていた。

第9・10条では、帳簿の作成義務のほか、1ヶ月間の家事費用の総額を記載すること、従来の慣習または業態により、複数の種類の帳簿を用いることを認めることを定めた。

第11条では、「商人ハ財産目録帳ヲ備エ置キ毎年商品其他ノ財産及ヒ貸借ヲ記スヘシ」と定めた。「財産目録帳」は、財産目録を指しているように見受けられるが、貸借を記す点に着目すれば、貸借対照表が求められていると解釈できる。いずれにせよ、財産目録と貸借対照表のいずれか一方のみの作成を要求していると思われる。

第12条から第15条では、帳簿の作成方法について規定された。他人に送付した書状・電報は帳簿に写しておくこと(第12条)、帳簿は罫紙を用いて作成し、各頁に頁数を附すこと(第13条)、文字は明瞭に書き、略語などを用いてはならないこと(第14条)などが定められ、「160条草案」の他の規定に比べて、極めて具体的で特異な規定である。これは、当時の商慣習に理由があったと思われる。この時期の商慣習の調査報告書である『日本商事慣例類集』8では、商業帳簿については、複数の種類が使用されていたこと、帳簿の記載方法がばらばらであったことが明らかにされている。

株式会社における会計規定は、計算書類に関する規定として、株主総会における書類決議義務(第105条)、株式会社の書類作成・公告義務(第122条)、書類の備置・閲覧許可義務(第126条)、配当に関する規定として、欠損の場合における配当禁止(第124条)および利益準備金の計上(第125条)があった。

株主総会において、前期における「精算帳」、「出納比較表」、「損益配当按」および「業務景況ノ報告」を認定する(第105条)。また、株式会社の義務として、毎年1回以上決算を行い、「財産目録」および「出納比較表」を作成し、株主総会後に「出納比較表」を公告しなくてはならない(第122条)。加えて、本店・支店において「財産目録帳」および「出納比較表」等を備え置くとともに、業務取扱時間中の閲覧を認めなくてはならないとされた(第126条)。

配当に関する規定については、会社の資本金に欠損が生じている場合には配当を行ってはならず、欠損額は填補しなくてはならない(第124条)。また、資本金総額の4分の1に達するまで少なくとも利益の20分の1を積み立てる必要がある(第125条)。

2.4  「ロエスレル草案」と「160条草案」の比較

「ロエスレル草案」と「160条草案」の構成については、総則に商業帳簿に関する規定が定められている点、株式会社に関する規定において書類に関する規定と配当に関する規定を定められている点で共通する。また、配当に関する規定は同一の内容であった。

商業帳簿に関する規定については、「ロエスレル草案」では財産を時価で評価することが定められているが、「160条草案」では財産評価規定自体がない。一方、商業帳簿の記載方法については、「ロエスレル商法案」では慣習に委ねられた一方、「160条草案」では詳細な規定が定められていた。「160条草案」は、財産評価を実務に委ねた点から、「ロエスレル草案」と比べて会計実務に配慮した内容であると言える。

表1は、「ロエスレル草案」と「160条草案」において必要とされた書類をそれぞれ示している。書類に関する規定については、その構成についても同一であり、特に、株式会社においては、株主総会において書類について決議するとともに、書類の作成、公告および書類の備置き・閲覧を義務付けた点では両案は一致している。また、いずれの商法草案についても「財産目録書」と「比較表」が中心となっていた。

表1 「ロエスレル草案」と「160条草案」における計算書類等
名称 「160条草案」 「ロエスレル草案」
作成時期 明治15年 明治17年
総則 作成義務書類 「財産目録帳」
(第11条)
「不動産動産ノ総目録」
「貸方借方ノ比較表」
(第33条)
株式会社 株主総会
決議対象書類
「精算帳」
「出納比較表」
「業務景況ノ報告」
「損益配当按」
(第105条)
「計算書」
「比較表」
「業務結果」
「利足及ヒ利益配当案」
(第238条)
会社作成
義務書類
「財産目録」
「出納比較表」
(第122条)
「財産目録書」
「比較表」
(第268条)
公告対象書類 「出納比較表」
(第122条)
「財産目録書」
「比較表」
(第268条)
本店・各支店の備置きおよび閲覧対象書類 「財産目録帳」
「出納比較表」
(第126条)
「決算書」
「比較表」
(第273条)

(出所)筆者作成。

ただし、計算書類等の種類は異なっている。総則における作成義務書類として、「ロエスレル草案」は「不動産動産ノ総目録」と「貸方借方ノ比較表」が義務付けられる一方、「160条草案」では「財産目録帳」のみが義務付けられている。また、公告対象書類については、「ロエスレル草案」は、「財産目録書」と「比較表」の両方であるが、「160条草案」は「出納比較表」のみを公告の対象とした。したがって、作成義務書類と公告対象書類については、「ロエスレル草案」の方がより厳しい義務が課されていると言える。ただし、本店・各支店の備置・閲覧の対象となる書類は、「財産目録書」ではなく、「決算書」が義務付けられていた。なお、「決算書」がどのような内容の書類を指すかは不明である。

3.  会社条例編纂委員・商法編纂委員による商法編纂

3.1  会社条例編纂委員における会社法編纂

(1)  会社条例編纂委員の設置

「ロエスレル草案」と「160条草案」への対応として、制度取調局長官伊藤博文は、「160条草案」を廃案とし、制度取調局において「ロエスレル草案」の会社法部分に基づいて会社条例を編纂する方針を明治17年5月に上申する。商法編纂委員は被免となり、寺島宗則を委員長とする会社条例編纂委員が設置された(高田, 2016, 696–700頁)。

伊藤博文がこのような方針を採用したのは、「ロエスレル草案」を一般社会が理解することは難しいと考えた一方、憲法の起草にも活躍するロエスレルの不興を買った「160条草案」を採用するわけにもいかないという状況のために、仕方なく採用したという消極的な理由であった(高田, 2016, 698–699頁)。

会社法の制定は、経済政策の面から必要とされていた。この時期は、大阪紡績、共同運輸、大阪倉庫、電灯会社、大阪商船、大日本鉄道等の大会社が設立された時期でもある(志田, 1933, 27頁)。これに、松方デフレ9の影響による会社の破綻が増加していたことも重なった。

にもかかわらず、第一読会(明治17年7月8日~明治18(1885)年7月2日)において、約1年をかけて「ロエスレル草案」の第67条から第308条までを検討し、ようやく明治18年6月頃に、「商事会社条例案」が起草された。このように時間をかけたのは、ロエスレルと商法編纂委員の対立の再現を避けるために、ロエスレルと綿密なやり取りを行いながら、法律案の審議を進めたためであった(高田, 2016, 706頁)。

続く第二読会(明治18年6月30日~明治19(1886)年3月23日)以降では、「商事会社条例案」に基づいて審議が行われ、これらの審議結果として「商社法案」が起草され、明治19年5月に元老院に提出された。

(2)  「商事会社条例案」

「商事会社条例案」10は、5款259条から構成されており、「160条草案」と同様に、総則と会社法から構成されている。

商業帳簿に関する規定については、「第1款 総則」において定められており、第25条(商業帳簿および「総財産ノ目録」・「貸方借方ノ対照表」の作成義務)および第26条(商業帳簿の保存期間)が定められた。

第25条では、会社は各業種で行われている慣例に従って商業帳簿を作成することが義務付けられるとともに、開業の時および毎年度3か月以内に「総財産ノ目録」および「貸方借方ノ対照表」の作成が義務付けられた。ただし、これらの書類に記載される財産の評価規定は設けられていない。なお、「貸方借方ノ比較表」から「貸方借方ノ対照表」に名称が変更されたのは、第一読会(第48回、明治18年2月6日)において、「ロエスレル草案」第268条(株主総会の決議対象書類)を審議した際に、「比較表」については、「計算表」または「貸借対照表」に変更してはどうかという意見が出て、後者を採用することが決定されたためである(高寺, 1966, 37–38頁)。

株式会社における計算書類等・配当に関する規定の構成は、「ロエスレル草案」・「160草案」と同一であり、計算書類等に関する規定として、株主総会における書類決議義務(第189条)、株式会社の書類作成・公告義務(第219条)、書類の備置・閲覧許可義務(第224条)、配当に関する規定として、欠損の場合における配当禁止および利益準備金の計上(第220条・第221条)が定められた。

計算書類等に関する規定については、株主総会においては、前期における「計算書」、「比較表」、「業務ノ結果」および「分配金ノ配当案」について決議する(第189条)。また、株式会社の義務として、半年毎に決算を行い、「財産目録」および「貸借対照表」を作成し、これらの書類は株主総会後に公告しなくてはならない(第219条)。また、本店・支店には「総勘定書」および「貸借対照表」等を備え置くとともに、業務取扱時間中の閲覧を認めなくてはならないとされた(第224条)。なお、「総勘定書」の内容は不明である。

「商事会社条例案」は、商業帳簿に関する規定については、財産評価規定の定めはない点は、「ロエスレル草案」と異なる。一方、「160条草案」で定められていた商業帳簿の記載方法に関する規定は、「商事会社条例案」にはなく、「ロエスレル草案」に近い。株式会社における計算規定は、「財産目録」および「出納比較表」の両方が公告対象となっている点から、「ロエスレル草案」に近い。このため、「商事会社条例案」における計算規定は、「ロエスレル草案」から財産評価規定を除いた簡素な規定であり、財産評価を会計実務に委ねているという点が特徴である。

(3)  「商社法案」

「商事会社条例案」から名称が変更された「商社法案」11は、6章221条から構成され、計算書類・配当に関する規定の構成は「商事会社条例案」とほぼ同一であった。「商事会社条例案」から内容が変更されたのは、第9条(商業帳簿の作成義務)、第147条(株主総会の書類決議)、第165条(株式会社の義務)および第169条(本店・各支店の書類の備置き・閲覧許可義務)である。

第9条では、商業帳簿の作成にあたって、それぞれの業種の慣例に従って、「商業及財産ノ現状ヲ明知シ得可キ記載」を行う義務があるとされた点が変更点である。これは、第二読会(第12回 明治18年7月28日)において、会社を取り締まるときに不都合が生じるおそれがあるため、ドイツ商法第28条を参考に、「商業及財産ノ現状ヲ明知シ得可キ記載」を行う義務があることを追記すべきであるというものであった(「第二読会第12回 明治18年7月28日」12、商社2ノ2ノ18–20)。

表2では、第147条、第165条および第169条について、「商社法案」と「ロエスレル草案」・「商事会社条例案」における作成書類等を示している。

表2 「ロエスレル草案」、「商事会社条例案」、「商社法案」における計算書類等
名称 「ロエスレル草案」 「商事会社条例案」 「商社法案」
時期 明治17年 明治18年 明治19年
総則 作成義務書類 「不動産動産ノ総目録」
「貸方借方ノ比較表」
(第33条)
「総財産ノ目録」
「貸方借方ノ対照表」
(第25条)
「総財産ノ目録」
「貸方借方ノ対照表」
(第9条)
株式会社 株主総会
決議対象書類
「計算書」
「比較表」
「業務結果」
「利足及ヒ利益配当案」
(第238条)
「計算書」
「比較表」
「業務ノ結果」
「分配金ノ配当案」
(第189条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息配当案」
「分配金配当案」
(第147条)
会社作成
義務書類
「財産目録書」
「比較表」
(第268条)
「財産目録」
「貸借対照表」
(第219条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息配当案」
「分配金配当案」
(第165条)
公告対象書類 「財産目録書」
「比較表」
(第268条)
「財産目録」
「貸借対照表」
(第219条)
「財産目録」
「貸借対照表」
(第165条)
本店・各支店の備置きおよび閲覧対象書類 「決算書」
「比較表」
(第273条)
「総勘定書」
「貸借対照表」
(第224条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息配当案」
「分配金配当案」
(第169条)

(出所)筆者作成。

第147条では、株主総会の決議書類として「財産目録」、「利息配当案」が追加されるとともに、その名称も「比較表」は「貸借対照表」に、「業務ノ結果」は「事業報告書」に、「分配金ノ配当案」は、「分配金配当案」に変更された。第165条では、株式会社の作成義務書類として、「計算書」、「事業報告書」、「利息配当案」および「分配金配当案」が追加された。第169条では、本店・各支店における備置きおよび閲覧対象書類として、「総勘定書」から「計算書」に変更され、「財産目録」、「事業報告書」、「利息配当案」および「分配金配当案」が追加された。

上記の書類の追加により、「商社法案」の株式会社の書類は「商事会社条例案」から大きく変更され、「財産目録」と「貸借対照表」が中心となっていたものが変化したと言える。さらに、株主総会の決議書類、株式会社の作成義務書類および備置き・閲覧対象書類の内容が一致することとなった13

なお、株式会社における作成義務書類を追加したのは、追加された「計算書」等の書類は会社の実態を示すものであるからと説明されている(「第二読会第52回 明治19年2月9日」14、商社2ノ5ノ66–67)。また、備置き・閲覧対象書類の変更については、株主総会の決議対象書類は重要な書類であるから、当然に閲覧可能とすべきものであり、趣旨を変更したものではないと説明されている(「第二読会第52回 明治19年2月9日」、商社2ノ5ノ70)。

このような経過を経て起草された「商社法案」は、明治19年5月に元老院に提出され、「第五百十三号議案」15として審議された(高田, 2016, 706–707頁)。元老院における審議において調査委員により詳細な審議が行われたが(「第五百十三号議案」、24–25頁)、変更したのは一部の字句を修正したに過ぎない(「第五百十三号議案」、53–62頁)。そして、元老院における審議も終了し、伊藤総理大臣に提出された。

「商社法案」は、明治20(1887)年前半に公布し、同年中に施行する予定であった。さらに、農商務大臣山県有朋からは、「商社条例ノ急施ヲ要スル義ニ付申請」が提出され、「商社法」として施行される時期は目前に迫っていた(高田, 2016, 707頁)。

3.2  商法編纂委員会における商法編纂

(1)  商法編纂委員会の設置

会社条例編纂委員の審議では、経済政策としての必要性から、商法のうち会社法部分の審議が優先して進められたが、会社条例編纂委員長寺島宗則は、商法の会社の解散に関する規定の審議の際に破産法も必要であると認識したことから、明治18年2月に破産法を至急制定したいと上申した。さらに、ロエスレルからの助言を受けて、会社法と破産法のみを施行しても実効性がないことを理由に、明治19年3月には商法すべてを制定すべきであると上申した。この結果、明治19年5月に会社条例編纂委員会の権限を拡大する形で商法編纂委員会が設置され、「ロエスレル草案」のうち、会社法と破産法の部分を除いた残りを審議することになった(高田, 2016, 703–704頁)。

(2)  商法編纂委員会の審議

商法編纂委員会の審議では、その素案に基づいて審議が行われた(以下、当該素案を「商法編纂委員会案」と呼ぶ)。「ロエスレル草案」の総則の第32条から第42条、すなわち、商業帳簿に関する規定について検討された。

「商法編纂委員会案」における商業帳簿に関する規定の構成は「ロエスレル草案」と同一であったが、条文における用語は変更された。例えば、「ロエスレル草案」第32条第1項(商業帳簿の作成義務)の「習例」、「自己ノ義務(中略)他人ノ義務受取」、「家計支払ノ金額」については、「商法編纂委員会案」第32条第1項では「慣例」、「権利義務」、「家事費用」という表現に変更された。また、「ロエスレル草案」第33条(「不動産動産ノ総目録」・「貸方借方ノ比較表」の作成)に相当する内容である「商法編纂委員会案」第33条では、「貸方借方ノ比較表」ではなく、「貸方借方ノ対照表」に変更された(「商法編纂会議筆記 第二読会第7回 明治20年3月11日」16、商法2ノ1ノ22–23)。「家事費用」は「160条草案」において、「慣例」・「貸方借方ノ対照表」という表現は「商事会社条例案」においてもみられるものであり、「ロエスレル草案」の起草以降の議論の内容が反映されていた。

商法編纂委員会の審議では、商業帳簿規定に関して、第33条における財産の時価評価規定と財産目録について主に議論が行われた。

財産の時価評価規定についての審議は、商法編纂委員の長森敬斐が「相場」と「時価」の違いについて質問したのが発端である。商法編纂委員の本尾敬三郎は、「相場」とは毎日価格が定まるものであり、たとえば、公債証書の売買価格を指し、「時価」とは、家屋のように鑑定人による鑑定を行って初めて判明するものであると回答し、納得した長森は、規定内容の明確化のために、上記回答を条文に規定することを提案した。

しかし、商法編纂委員の鶴田皓は、当該内容を条文に掲げた場合、法律を遵守することが困難になると反対した。さらに本尾も反対し、長森の提案は退けられた。本尾の反対理由は、ロエスレルが条文を詳細にすべきでないと考えていたこと、仮に条文に詳細に規定した場合、商業活動を阻害するおそれがあることから、商法施行後、数年間会計実務が行われた後にその効果をみるべきというものであった(「商法編纂会議筆記 第一読会第9回 明治19年4月5日」17、商法1ノ1ノ30–32)。

その後の元老院の審議でも、「商社法案」の規定内容の善悪は数年後に判明するような性質なので、まずは法律を実施すべきであるという発言があるため(「第五百十三号議案」、15頁)、会社法を制定することが優先され、法律の実施上の問題が生じた場合はその後に商法を改正する方針が採用されていたものと思われる。

財産目録についての審議は、委員長寺島宗則の発言が発端である。寺島は、日本では財産目録を作成することが困難であり、資産のうち、特に動産のすべてを記載することは不可能であると懸念を示した(「商法編纂会議筆記 第二読会第7回 明治20年3月11日」、商法2ノ1ノ24)。これに同調する委員からは、動産に時価を付すことが難しいという意見が付け加えられた。

一方、原案に賛成する委員は、商業帳簿の作成は財産目録の作成のために行うのであり、仮に財産目録の作成義務規定を削除した場合、商業帳簿の作成自体に意味がなくなると反論した(「商法編纂会議筆記 第二読会第7回 明治20年3月11日」、商法2ノ1ノ24–25)。つまり、原案賛成委員は、棚卸法ではなく、誘導法に基づいて財産目録を作成すると考えていた。さらに本尾は、第33条の趣旨が取引の相手方や公衆に対して信用を失わないようにするためであること18、ドイツ法の解説書によれば、本条は所有する資産のすべてを記載することを命じたものではないと寺島に説明した(「商法編纂会議筆記 第二読会第7回 明治20年3月11日」、商法2ノ1ノ24–25)。上記発言に納得した寺島は、小商人に対する緩和規定を設ける考えを示し、条文の修正は行われなかった。

4.  法律取調委員会による商法編纂

4.1  条約改正と法典編纂

日本政府は、欧米諸国と結んでいた不平等条約を改正するために、欧米諸国を集めた「条約改正会議」を開催するところまでこぎつけ、明治19年に東京で第1回条約改正会議(5月1日)が開催された。また、第6回条約改正会議(6月15日)では、英国・ドイツ公使は裁判管轄に関する条約案を提出した。この条約案は、日本政府とドイツ政府の緊密な連携に基づいたものであり、これに英政府が同意することにより成立したものであった。井上馨は条約案を採用する旨を宣言した(大久保・高橋, 1999, 110頁)。

当該条約案は、明治20年3月の第24回条約改正会議では、「泰西主義」19に基づく帝国裁判所の章程および刑法・治罪法・民法・商法・訴訟法等を制定することが条約改正の前提条件であることが明確化された(大久保・高橋, 1999, 121–126頁)。これは、欧米諸国が商取引の安全、取引当事者の財産などの保証を必要としたためであった(向井・利谷, 1964, 220頁)。

こうして法典編纂は、明治前半期における最大の外交課題であった条約改正問題と密接な関係となった(大久保・高橋, 1999, 5頁)。それゆえに、法典編纂の一部である商法の制定も必須となっていた。

4.2  法律取調委員会における商法編纂の開始

明治19年8月に外務大臣井上馨を委員長とする法律取調委員会が組織された。法律取調委員会の当初の目的は、条約改正のために必要な裁判所構成法の審査を行うことであったが(大久保・高橋, 1999, 116–119頁)、明治20年3月頃から、井上馨は、条約改正交渉と法典編纂を一元化するために、法律取調委員会において商法・民法などの法典編纂を行うこととし、法律取調委員会の委員を追加で任命し、それまで行っていた民法および商法の検討を停止させた(大久保・高橋, 1999, 130–134頁)。これにより、公布目前であった「商社法案」も廃案となった。そして、第26回条約改正会議(明治20年4月)に「裁判管轄条約」の最終案が了承された。

このとき、条約改正に対する反対論が起こった。ボアソナードは、この裁判管轄条約が日本に不利に働くために、条約締結を阻止すべきであると井上毅に訴え、さらに、この事実が公になったために、世論もこの条約に反対するようになった。閣内からは、農商務大臣谷干城、司法大臣山田顕義も反対し、ついに、総理大臣伊藤博文も反対する意見を明らかにした。世論と閣内からの反対のために井上馨は条約改正を断念し、さらに、これを理由に井上馨は外務大臣を辞任した。後任の法律取調委員長は山田顕義が就任し、商法案の審議は司法省が担当することとなった(三枝, 1992, 70–73頁)。

なお、この頃、伊藤は、民法・商法の編纂にあたって、ボアソナードによる民法草案と「ロエスレル草案」のいずれも学理を優先し、日本の現状に合わないため、ナポレオン法を基礎とした日本の現状に見合う新法案を起草することを考えていた。一方、山田は、両草案の実施に支障がなければ3年から5年後に法律を修正すればよいこと、新草案の作成には何よりも時間がかかりすぎること、国会開設前に間に合わないことは避けるべきであることを理由に挙げて、伊藤を説得した(大久保・高橋, 1999, 138–143頁)。

このように、国会開設前までに商法編纂を実現するという時間的制約が生じたため、法律取調委員会における審議は、すみやかに進行することが求められた。法律取調委員会の目的は、民法・商法・訴訟法の草案で実行できない規定があるか否か、他の法律規則に抵触する規定があるか否かを審査することにあったが、法律取調委員は会議中法案の内容を理解することが精一杯であり、さらに、一日15条以上を審議するという制約が課されたために、問題点を掘り下げることもできなくなっていた(伊東, 1976, 210–212頁)。

4.3  法律取調委員会における審議

法律取調委員会における審議は、明治20年12月から明治21(1888)年6月にかけて行われた。その審議は素案に基づいて議論されたが、素案の全体像は不明である。ただし、総則の商業帳簿に関する規定は、速記録に記述されている。これによれば、総則の商業帳簿に関する規定は、「ロエスレル草案」と同様の構成が採用されており、全部で11条(第32条~第42条)から構成されている。具体的には、帳簿の作成義務(第32条)、「不動産動産ノ総目録」・「貸方借方ノ対照表」の作成(第33条・第34条)、商業帳簿の保管義務(第35条)、商業帳簿の閲覧制限(第36条・第37条)、裁判における商業帳簿の取扱い(第38条・第39条)および商業帳簿の証拠能力等(第40条~第42条)について定められていた(「商法草案第一回議事筆記 自 第十八条 至 第四十七条」20、商法1ノ46–59)。

上記素案には、「ロエスレル草案」第32条にはない「慣例」、「権利義務」、「家事費用」という表現がみられる。また、第33条において、「貸方借方ノ比較表」は「貸方借方ノ対照表」に改められている。また、法律取調委員会において法律取調報告委員が選任されているが、法律取調報告委員は、商法編纂委員であった本尾敬三郎、長森敬斐らが選任された(高田, 2016, 690、712–713頁)。これらの点から、「商法再調査案」における商業帳簿に関する規定は、「ロエスレル草案」を基礎として審議された「商法編纂委員会案」に基づいて作成されたと推察される。

上記審議の後に、1,068条から構成される「商法再調査案」21が作成された。「商法再調査案」では、「総則 第4章 商業帳簿」に商業帳簿に関する規定が定められていたが、その内容は上記素案とほぼ同一であった。

株式会社の計算書類に関する規定については、株主総会における書類決議義務(第204条)、株式会社の書類作成・公告義務(第222条)、書類の備置・閲覧許可義務(第226条)、また、配当に関する規定として、欠損の場合における配当禁止および利益準備金の計上(第223条)が定められていた。

表3では、「ロエスレル草案」、「商社法案」および「商法再調査案」における、株式会社に対して作成等が義務付けられた書類を示している。「商法再調査案」と「ロエスレル草案」を比較すると、株主総会決議対象書類、株式会社における作成、および備置き・閲覧対象書類は異なっている。一方、「商法再調査案」と「商社法案」は、それらの書類がほぼ一致している。この点から、「商法再調査案」の株式会社における計算規定は、「商社法案」を引き継いだということができる。

表3 「ロエスレル草案」、「商社法案」、「商法再調査案」における書類
名称 「ロエスレル草案」 「商社法案」 「商法再調査案」
時期 明治17年 明治19年 明治21年
株式会社 株主総会
決議対象書類
「計算書」
「比較表」
「業務結果」
「利足及ヒ利益配当案」
(第238条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息配当案」
「分配金配当案」
(第147条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息又ハ配当金ノ分配案」
(第204条)
会社作成
義務書類
「財産目録書」
「比較表」
(第268条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息配当案」
「分配金配当案」
(第165条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息又ハ配当金ノ分配案」
(第222条)
公告対象書類 「財産目録書」
「比較表」
(第268条)
「財産目録」
「貸借対照表」
(第165条)
「財産目録」
「貸借対照表」
(第222条)
本店・各支店の備置きおよび閲覧対象書類 「決算書」
「比較表」
(第273条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息配当案」
「分配金配当案」
(第169条)
「計算書」
「財産目録」
「貸借対照表」
「事業報告書」
「利息又ハ配当金ノ分配案」
(第226条)

(出所)筆者作成。

このため、「商法再調査案」は、「ロエスレル草案」がその源流になるものの、直接的には、総則の商業帳簿に関する規定は「商法編纂委員会案」を引き継いだものであり、株式会社の計算書類・配当に関する規定は、「商社法案」を引き継いだものであった。

明治20年11月に開始した法律取調委員会における「商法再調査案」の審議は極めて短期間で進められ、商法案については、明治21年5月に総則・会社法部分が、同年12月にその他の部分が内閣に提出された。その後、元老院の可決、閣議決定を経て、明治23年3月に天皇の裁可を受けて、明治23年4月26日に商法(明治23年法律第32号)が公布された(高田, 2016, 713–714頁)。明治23年商法の商法計算規定については、「商法再調査案」ほぼそのままの内容であった。

5.  おわりに

ロエスレルが商法草案を起草した時期に、商法編纂委員から日本の商習慣を重視した「160条草案」が上進され、両者は対立した。「ロエスレル草案」の商法計算規定は、諸外国の商法を比較した結果、フランス商法を参考に財産目録・貸借対照表の作成を求めるとともに、ドイツ商法を参考に財産の時価評価を求めた。一方、「160条草案」は、財産目録の作成は求めたものの、財産評価については規定を設けずに会計実務に委ねていた。

この両案は伊藤の決断により廃案とされ、「ロエスレル草案」を基礎に会社法を制定する方針で進められ、「商事会社条例案」および「商社法案」が起草された。これらの商法案では、計算書類等・配当に関する規定は、「ロエスレル草案」の内容を引き継いだものの、計算書類等の内容・構成は大きく変化した。また、財産評価規定については設けられずに、財産評価を会計実務に委ねていた。その後、その検討範囲は商法全体へと拡大し、「商法編纂委員会案」が作られ、このとき、財産の時価評価規定は復活した。この時の審議では、財産の時価評価規定と財産目録の作成のそれぞれに対して、商法編纂委員から法律の実施上の問題が指摘された。しかし、審議において商法施行後の状況の調査を踏まえて改正する方針が示され、規定内容の変更には至らなかった。

さらに、条約改正の実現という理由が加わり、商法編纂作業の加速が求められたため、すでに検討が進められていた「ロエスレル草案」に基づいて起草する方針が採用され、これに基づいて明治23年商法が公布された。ただし、明治23年商法の条文の内容や用語表現は、「ロエスレル草案」の起草後に作成された商法案の内容が採用された。明治23年商法の商業帳簿に関する規定については「商法編纂委員会案」に基づいて、株式会社における計算書類に関する規定については「商社法案」に基づいて起草された。

以上から、「商法と会計実務との軋轢」の要因である財産目録の作成規定と資産の時価評価規定が導入された背景として3点が指摘できる。第1に、ロエスレルが諸外国、特にフランス・ドイツの商法を参考に計算規定を起草したこと、第2に、政治的・外交的判断から、財産の時価評価規定のない商法案ではなく、「ロエスレル草案」を原案とした商法の制定を政府が選択したこと、第3に、仮に商法計算規定に実施上の問題が生じた場合には、早急に商法を改正することで対応する方針であったことである。

しかし、本論文は、明治23年商法の形成過程から「商法と会計実務との軋轢」が生じた背景を示したに過ぎない。明治23年商法が実施されるまでに、計算規定の内容に変更がなく、「商法と会計実務との軋轢」が維持された点、明治商法下において、財産目録を作成しておらず、財産を取得原価に基づいて評価していた会社が、明治商法における財産目録の作成と時価評価規定をどのように対応したのかという点、そして、これらが明治44年商法改正にどのような影響を与えたのかという点に対する検討は、本論文では行うことができなかった。これらの点については、今後の課題としたい。

1  ロエスレルは、日本の文書記録には、ロヱスレル、ロイスレル、リョースレル、リョスレール、リョウスレー、レースレル、ルスレールなどにより表記されていた(伊東, 1976, 187頁(1))。本論文ではロエスレルに統一する。

2  『ロエスレル氏起稿商法草案 完』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367628(2020年11月2日に確認))に基づいて検討した。なお、本論文における商法案および会議議事録については、高田(2016)に基づいて作成された「法律情報基盤 旧商法(明治23年商法)立法過程」(https://law-platform.jp/pages/5d43b4edea0bef2f2fc87c17 2020年11月2日に確認)に基づいている。

3  『商法』(国会図書館デジタルコレクションDOI: 10.11501/1367624(2020年11月2日に確認))。

4  『ロエスレル氏意見書ニ対スル答弁』(国会図書館デジタルコレクションDOI: 10.11501/1367627(2020年11月2日に確認))。

5  『ロエスレル氏起稿商法草案(第一冊)』(国会図書館デジタルコレクションDOI: 10.11501/1367629(2020年11月2日に確認))

6  「要求権利」は、後に「債権」に変更されている点から、現在の債権を指すと考えられる。なお、「要求権利」については、不確実な場合は予想される損失を控除して記載し、損失とすべきものは記載してはならないとされた(第33条)。

7  『ロエスレル氏起稿商法草案(第三冊)』(国会図書館デジタルコレクションDOI: 10.11501/1367631(2020年11月2日に確認))。

8  『日本商事慣例類集』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1213209(2020年11月2日に確認))。

9  明治14年の政変後に大蔵卿松方正義は、政府紙幣の乱発により生じた物価上昇と財政悪化を抑えるために、緊縮・増税による政府紙幣の整理を試みる。これにより生じた物価の下落により、景気の悪化がもたらされたが(沢井・谷本, 2016, 125–127頁)、これを松方デフレと呼ぶ。

10  『商事会社条例(第一冊)』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367660)および『商事会社条例(第一冊)』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367661)(2020年11月2日に確認)。

11  JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A07090109400(267画像目から)「商社法」『単行書・元老院会議部書類・地・決議上奏』国立公文書館。

12  『〔会社条例編纂委員会〕商社法第二読会筆記 第二巻』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367654(2020年11月2日に確認))。

13  「商社法案」は、株主会社の作成義務書類、備置き・閲覧対象書類に「計算書」が追加された点から、長久保(2000)の「ロエスレル第二草案」に相当すると言えるが、ロエスレルが直接起草したものではない。

14  『〔会社条例編纂委員会〕商社法第二読会筆記 第五巻』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367657(2020年11月2日に確認))。

15  JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. A07090150400(280画像目から)「第五百十三号議案」『単行書・元老院会議筆記・自第五百一号至第五百十五号』国立公文書館。

16  『〔法律取調委員会〕商法第二読会会議筆記 第一巻』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367671(2020年11月2日に確認))。

17  『〔法律取調委員会〕商法第一読会会議筆記 第一巻』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367667(2020年11月2日に確認))。

18  前述の通り、「ロエスレル草案」の逐条解説では、「事業年度の結果を示すこと」がその趣旨であると解説されている。ロエスレルと綿密なやり取りを行いながら法律案の審議を行っていたことから、ロエスレルの趣旨と反する内容とは考えにくく、「事業年度の結果を示すことにより、取引の相手方や公衆から信用が得られるようにすること」がその趣旨であると推察される。

19  「泰西主義」(Western Principles)とは、ローマ法以来の西洋法の原則を指す(高田, 1999, 13頁)。

20  『〔法律取調委員会〕商法草案議事速記 第一巻』(国会図書館デジタルコレクションDOI: 10.11501/1367673(2020年11月2日に確認))。

21  『商法再調査案』(国会図書館デジタルコレクション DOI: 10.11501/1367689(2020年11月2日に確認))

参考文献
  • 安藤英義(1997)『新版 商法会計制度論 ―商法制度の系統的及び歴史的研究』白桃書房。
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  •  高田 晴仁(1999)「法典編纂における民法典と商法典・上 ―その「重複」と「牴觸」をめぐって」『法律時報』第71巻第7号、12–15頁。
  • 高田晴仁(2016)「旧商法典編纂小史 ―実定法研究のために―」鳥山恭一・中村信男・高田晴仁編『現代商事法の諸問題(岸田雅雄先生古稀記念論文集)』成文堂、687–716頁。
  • 千葉準一(1998)『日本近代会計制度 ―企業会計体制の変遷』中央経済社。
  • 利谷信義・水林彪(1973)「近代日本における会社法の形成」高柳信一・藤田勇編『資本主義法の形成と展開 3 企業と営業の自由』東京大学出版会、1–129頁。
  •  長久保 如玄(2000)「明治二三年商法(計算規定)とロエルレル第二草案」『會計』第158巻第3号、99–110頁。
  • 向井健・利谷信義(1964)「明治前期における民法編纂の経過と問題点」法制史学会編『法典編纂史の基本的諸問題 近代』創文社、215–246頁。
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