2022 年 19 巻 p. 71-89
組織アイデンティティの研究分野では、その内容の形成にまつわる文献が少ない。そのため、組織アイデンティティの形成の「どのように(方法)」と「何を(内容)」と「なぜ(理由)」を結びつけることが課題となっていた。そこで、本論文では、組織の戦略とアイデンティティの相互関係性に着目しつつ、戦略の継続的遂行に対する縦断的アプローチから、組織アイデンティティの内容の形成について述べた。そのために、日本の不織布産業における乾式不織布のパイオニアであり、日本初となる高機能かつ高付加価値の不織布を積極的に開発しつつニッチ市場で競争優位を確立している金星製紙株式会社の事例研究を実施した。
同社の開始時期の異なる再生PET繊維使用不織布事業や合繊エアレイド不織布事業の成功事例を調査することで、戦略とアイデンティティの相互関係性の視座から組織アイデンティティの内容の形成について考察した。その結果、同社の組織アイデンティティの形成では、代々の経営者による「高付加価値製品の積極的な開発によるニッチトップ戦略の追求」が深いプロセスとなっていたことが分かった。同社は、その影響を受けて(どのように)、自社の組織アイデンティティの内容を(何を)、不織布のニッチ市場で持続的競争優位を確立するために(なぜ)形成したことが分かった。
In the field of organization identity, few papers have looked at its formation. In order to do so, this paper links the how, the what and the why of identity formation. Taking a longitudinal approach to the continuous execution of strategy, this study focuses on the interrelationship between organizational strategy and identity in describing the formation of organizational identity. To this end, it presents the case study of Kinsei Seishi Co., Ltd., a pioneer of dry-laid non-woven fabrics in the domestic non-woven fabric industry that established a competitive advantage in the niche market by pursuing development of Japan’s first high-performance and high-value-added non-woven fabric.
This study examines the formation of the company’s organizational identity from the viewpoint of the interrelationship between strategy and identity by investigating the success of its PET bottle recycled non-woven fabric and synthetic fiber dry-laid non-woven fabric businesses, which happened at different points in their history. The results indicate that the “pursuit of niche-topping strategy through active development of high-value-added products” by successive leaders was a deep process in the formation of the company’s organizational identity. This reveals the influence of this (the how) on the formation of the company’s organizational identity (the what) for the sake of gaining a sustainable competitive advantage in non-woven niche markets (the why).
新型コロナウイルス感染症が2019年に発生し、2020年から拡大したことによって、企業は社外の利害関係者と直接的に会う機会を大幅に減らさざるを得なくなり、その結果、対面式のコミュニケーションを通して自社を理解してもらうことが難しくなった。多くの企業が、それにともなう機会損失を回避するべく、自社のウェブサイトを充実するようになり、そこで「自分たちが何者であるか」を積極的に表明しつつステークホルダーに自社への理解を促そうとしている。そのため、「自分たちらしさ」を効果的にテキスト化して表現することが重要な課題となっている。
こうした「自分たちらしさ」、言い換えると「我々はどのような存在であるか」という問いに対する自己認識が、組織アイデンティティである(佐藤, 2013)。この概念は、Albert and Whetten(1985)によって初めて導入され、「組織において中核的で(本質的特性)、際立っており(他の組織との区別)、持続的(時間的連続性)な性質を示すもの」とされる(佐藤・山田, 2004)。そうした組織アイデンティティは、組織のあらゆる実践と関連していることから(Alvesson et al., 2008)、組織現象の根底的な構成概念(root construct)であると考えられている(Albert et al., 2000)。
既存研究では、組織アイデンティティの内容そのものを分析する研究は多いものの(佐藤, 2018)、それがどのように、そしてなぜ形成されるのかについては、十分に検討されてこなかった(Gioia et al., 2013)。これまでの多くの研究は、組織が、合併、戦略的変化、逆境、スピンオフなどの大規模または稀な出来事をきっかけに、組織アイデンティティを変更したことに着目してきた(Oliver & Vough, 2020)。こうした組織アイデンティティの変化にまつわる研究が先んじてなされてきたことから、組織アイデンティティの形成や創造にまつわる研究があまりなされていないのだと考えることができる(Gioia et al., 2013;平澤, 2013;Ravasi et al., 2017;Ravasi et al., 2020)。
一方、Ashforth and Mael(1996)は、「組織は戦略を通じて価値あるアイデンティティをイナクト・表現することができ、また、戦略とそれが呼び起こす反応からアイデンティティを推測・修正・肯定することができる」としている。つまり、アイデンティティの創造や形成において、戦略が重要な役割を果たしているということができる。ただし、戦略とアイデンティティの結びつきやマネジメントについてはさらなる研究の余地があり、そのためRavasi et al.(2017)は、戦略の組織的実践の文脈から、アイデンティティの創造さらにはアイデンティティと戦略の結びつきを検討する必要があると述べている。
そこで、本論文では、戦略とアイデンティティの相互関係性に焦点を当て、組織アイデンティティの形成について検討することにしたい。その上で、「組織アイデンティティの内容は、継続的な戦略の実践を通して、どのように形成されるだろうか」という研究設問を設定し、それに対応する理論仮説を導出することにしたい。
本論文では、上記研究設問に答えるにあたり、日本で初めて国産設備で乾式不織布1の製造を実現して不織布の製品化にも成功した金星製紙株式会社(以後、金星製紙と呼ぶ)の事例研究について述べる。同社は、創業以来100年の歴史を有しており、不織布の製造と加工に関する技術的資源を長きにわたって蓄積し、それを活用して、再生PET繊維使用不織布2や合繊エアレイド不織布3の分野で持続的競争優位を確立してきた。また、そうした戦略的実践を通じて、ユニークなアイデンティティを形成し、組織行動の源泉としている。そこで、本論文では、同社の事例を、Yin(1994)のいう極端ないしユニークな事例とみなして経験的に検討し4、研究設問に対する理論仮説を帰納的に導出して、組織アイデンティティの研究分野へ理論的貢献を図りたいと考えている。
本論文の結論は次の通りである。組織は、戦略の長期的な遂行を経て市場で競争優位を確立すると、それで得た業界での地位や存在意義を自覚的に認識する。その結果、組織のトップは、自分たちが業界でどのような存在であり、何をするかをあらためて意味づけるべく、主張(センスギビング)と理解(センスメイキング)の相補的実践から組織アイデンティティを形成する。そうして形成された組織アイデンティティに対するメンバーの理解が深まると、それが組織の戦略行動にとって強力な動機づけとなる。
組織アイデンティティとは、組織にとって自分達が誰であるかについての主観的な解釈または主張のことを意味する(Albert & Whetten, 1985;Oliver, 2015;Caza et al., 2018)。組織アイデンティティは、今日の組織においてメンバーのモチベーションの強力な源泉になっており、意味づけ、組織文化、意思決定、アントレプレナーシップなど、多くのことに結びつくと考えられている(Oliver, 2015;Gioia et al., 2010;Hatch, 2013;Navis & Glynn, 2011;Gioia & Thomas, 1996)。
Albert and Whetten(1985)によれば、組織アイデンティティは3つの問いと3つの基準をもとに表現される。このうちの3つの問いとは、「我々はどのような存在であるか(Who are we?)」「我々はどのようなビジネスを行っているか(What kind of business are we in?)」「我々は何になりたいか(What do we want to be?)」というものである(Albert & Whetten, 1985;佐藤, 2013)。また、3つの基準とは、「宣言性(組織を特徴付ける重要で本質的な宣言された特徴のこと)」「識別性(自らの組織と他の組織を区別することのできる比較可能な特徴のこと)」「時間的連続性(時が経つにつれて変化しうるが連続している特徴のこと)」である(Albert & Whetten, 1985;山城, 2015)。
こうした特徴を有する組織アイデンティティは、その内容が組織にとって意味のあるものになっていなければならない(佐藤, 2018)。それは、確立された組織アイデンティティが、組織において認識枠組みとして機能し、行動の基準となるからである(佐藤, 2018)。それだけでなく、組織アイデンティティは、ステークホルダーに対して好ましい印象をもたらすべく組織のイメージを与えることになる(Hatch, 2013, 邦訳書 p.505)。そのため、組織アイデンティティの形成は、組織の発展に対して極めて重要な役割を果たすと考えられる。
こうした組織アイデンティティの形成や創造においては、戦略が重要な役割を果たすことが知られている。例えばAshforth and Mael(1996)は、「組織は戦略を通じて価値あるアイデンティティをイナクト・表現することができ、また、戦略とそれが呼び起こす反応からアイデンティティを推測・修正・肯定することができる」としている。ただし、戦略と組織アイデンティティの相互関係性のみならず、結びつきやマネジメントについては、さらなる研究の余地があるとされる(Ravasi et al., 2017)。Ravasi et al.(2007)は、進行中の戦略的および組織的実践の文脈におけるアイデンティティと戦略の相互関係性や、長期にわたって表現される戦略的変化と組織のアイデンティティ・ワークの歴史的な相互関係などを研究することの必要性を指摘した。
また、既存研究では、組織アイデンティティがどのように、そしてなぜ形成されるのかについては、ほとんど検討されてこなかった(Gioia et al., 2013)。これまでの多くの研究は、組織アイデンティティの内容そのものや、その変更プロセスに着目する傾向が強く、形成や創造にまつわる研究はあまりなされてこなかったのである(Gioia et al., 2013)。
組織アイデンティティの形成に着目した数少ない研究の中で代表的文献と見なされているGioia et al.(2010)では、新しい学校を対象とした質的なケーススタディを実施し、組織が正式に設立される直前から設立8年目までの期間にわたって組織アイデンティティの形成にまつわるデータを収集した。分析の結果明らかになったことは、組織アイデンティティが、時間の経過とともに、(1)創設者による原初的な組織アイデンティティの明確化→(2)アイデンティティが定まっていないことに起因した意味の空白の経験→(3)他の組織との相違の明確化によるアイデンティティの詳細化→(4)組織の中心的特徴に関するコンセンサスの形成という、段階的プロセスを経て形成されることであった。
平澤(2013)は、新しい有機太陽電池の開発と事業化を目指したベンチャー企業を対象として、約6年間にわたり組織アイデンティティの発展にまつわる参与観察を実施した。ベンチャー企業における新しい有機太陽電池に関する未知のイノベーションを、組織のリーダーによる組織アイデンティティの主張(センスギビング)と理解(センスメイキング)のプロセスとして捉え、リーダーによる意味のマネジメントが、未知のイノベーションと組織アイデンティティの発展の相補的なダイナミクスを促したことを指摘している。
Kroezen and Heugens(2012)は、オランダの地ビール会社のアイデンティティ・コンテンツの発展に焦点を当てて、アイデンティティ形成の二段階の内部プロセスを示した。そのうちの第一段階では、組織のメンバーが、潜在的なアイデンティティ要素を、同業組織、聴衆、創業者など、さまざまな外部と内部のソースから引き出し、アイデンティティ・リザーバー(アイデンティティの主張のための組織固有の特徴の集合)へと蓄積していた。そして、第二段階で、メンバーがアイデンティティ・リザーバーから要素を選択するとともに、アイデンティティの主張へとイナクトしていた。
こうした先行研究からは、組織アイデンティティの形成には、「創設者やリーダーの信念や価値観」「組織メンバーによる過去の経験」「組織の物語」などの3つの内的要因と、「ライバル企業の存在」や「メディアの影響」などの2つの外的要因が作用することが明らかにされている(佐藤, 2018, pp.37–38)。ただし、これまでの研究では、そうした作用が、どちらかといえば、組織アイデンティティの内容そのものへの影響ではなく、内容形成のプロセス面へ働くことに関心が置かれていた。
一方、Gioia et al.(2013)は、アイデンティティ形成の研究では、①アイデンティティ形成の全体的なプロセスを調査すること、②アイデンティティの定義に影響を与える内部プロセスを明示的に説明すること、③時間の経過とともに展開されるアイデンティティ形成を縦断的なアプローチによって追跡すること、④アイデンティティ形成のプロセスにおける主張(センスギビング)と理解(センスメイキング)の相補的な関係性に焦点を当てること、の4つの事項を検討することが重要であるとした。またその上で、組織アイデンティティ形成の研究に関して次の将来的課題を指摘した。それは、(A)組織や時代を超えて共通する組織アイデンティティ形成の「深いプロセス(deep process)」を精緻化することと、(B)組織アイデンティティ形成の「どのように(方法)」「何を(内容)」「なぜ(理由)」を結びつけることの2つである。加えて、それぞれの課題への取り組みが他方への取り組みに影響を及ぼして相乗効果をもたらすことができれば、組織アイデンティティの内容の形成に対してより詳細な検討が可能となり、組織アイデンティティ形成の研究分野に対して、価値ある貢献を期待することができるとした。
そこで、本論文では、金星製紙の事例研究を用いて、Gioia et al.(2013)の指摘する将来的課題(A)および(B)への解答を経験的に提示することにしたい。その際には、同社の創業から現在までの100年におよぶ歴史に対して縦断的にアプローチすることによって追跡し、戦略の全体プロセスのみならず内部プロセスについても明示的に説明する。その上で、戦略とアイデンティティの結びつきに焦点を当て、組織アイデンティティ形成の深いプロセスを見出すとともに「どのように(方法)」と「何を(内容)」と「なぜ(理由)」を結びつけることを通じて、組織アイデンティティの内容が継続的な戦略の実践を通して形成されることを説明する。このようにして、組織アイデンティティの形成の研究分野のみならず、戦略とアイデンティティの結びつきの研究分野に対しても理論的貢献を図りたい。
本研究では、金星製紙を、Yin(1994)のいう極端あるいはユニークな単一事例であるとみなし5、そうした事例研究を用いて、研究設問に対応する理論仮説を導出することで、組織アイデンティティの研究分野へ理論的貢献を図ることにした。したがって、本事例研究では、理論の発展に寄与するべく、研究者の学問的関心に基づいて事例が選択されているということができる(George & Bennett, 2005;野村, 2017)。
金星製紙は、日本の不織布産業の歴史が始まった1956年に、日本で初めて国産設備を用いた乾式不織布の製造を開始した(大河原, 1993;金星製紙, 2021)。同社は、その後、廃棄ペットボトルのリサイクルとしての台所用水切りゴミ袋「エコ・ボンリック」をはじめとして、乾式不織布の用途開発を積極的に行い、他社が参入しにくいニッチ市場を創造して、そこで競争優位を獲得してきた。そうした戦略的実践を通じて、「国産設備を使用し、日本で初めて乾式不織布を製造した100年の歴史を持つ不織布メーカーです」とするユニークな組織アイデンティティを形成した(金星製紙, 2021)。
本研究では、金星製紙の事例研究を通じて研究設問に対する理論仮説を導出する際に、田村(2016)の物語分析を研究手法として用いて6、同社の組織アイデンティティの形成に結びつく不織布事業の戦略的出来事の連鎖を物語として再構成することにした。その際に、同社の合繊エアレイド不織布の食品用包装資材の分野における持続的競争優位の確立と組織アイデンティティの形成を物語の終点に位置づけた。その上で、物語の終点にまつわる出来事として、不織布の製造設備と加工設備の導入、工場の建設、加工会社の設立、それらを駆使した不織布製品の開発などを選択した。さらに、同社の創業を物語の始点に設定した。その結果、およそ100年という長期間にわたる企業の成長を取り扱うことになったため、本事例を複雑物語としての漸進物語7と位置づけた。
本研究では、漸進物語としての金星製紙の事例を分析する際に、それに適した方法とされている過程追跡8を採用した(田村, 2006)。その際、事例の歴史年表としての出来事年代記を作成し、次いで各出来事を因果的に連結したネットワークを構成して出来事構造を抽出した(田村, 2006)。そして、事例の物語としての論理的整合性に依拠した上で、戦略的出来事と組織アイデンティティの内容の結びつきを導出して、組織アイデンティティの内容の形成に関する理論仮説を生成した。
本事例研究では、金星製紙にまつわるインタビューや聞き取りのデータ(表1参照)としての一次情報と、同社のホームページや各種公開文書と新聞や雑誌の記事などの二次情報を定性データとして収集して総合的に用いた。そのうちのインタビュー調査は、非構造化スタイルで実施されている。また、本事例研究では、同社の従業員10名に対して、同社の組織アイデンティティに対する理解度を問う質問票を用いた調査も実施した。
日時 | 場所 | 対象(当時の役職) |
---|---|---|
2019年3月15日 | 高知県産学官民連携センター ココプラ | 竹之内 渉(代表取締役社長) |
2020年12月3日 | 金星製紙株式会社 日高工場 | 松本 章(事業開発部 部長) 北岡 孝章(総務部 次長) |
(出所)筆者作成。
金星製紙は、1917年に、和紙製造の目的から三浦商工株式会社として創立された(金星製紙, 2021)。同社は、1943年になると、戦時経済下になされた企業整備のもと現地の同業工場を吸収合併して高知製紙株式会社と改称した9。その後、1951年に三栄製紙株式会社を設立し、1953年に金星工業株式会社の伊野工場と合併して金星製紙に改称した。こうした経緯から、同社は、1917年を創業の年とし、1951年を会社設立の年とみなしている。
現在の金星製紙は、高知県に本社と2つの生産工場と2つの加工会社を有し、従業員数119名および売上高44億円(2020年3月時点)の規模で、不織布の製造販売、不織布・和紙関連商品の加工販売、フィルムの製造販売などの事業を行っている(金星製紙, 2021)。同社が手掛けている製品は、定番とされる不織布、環境配慮型不織布、高付加価値を追求した機能性不織布、加工品としての食品用包装資材や生活用品の5つに分類することができる。
金星製紙は、1956年に、国産設備を用いた乾式不織布の製造に日本で初めて成功した不織布業界のパイオニア的存在である。同社は、もともと、天然繊維を原料として、薄葉紙、コピー紙としてのノンカーボン紙、ティッシュペーパーなどの機能紙を手掛けていた(通商産業省四国通商産業局, 2000, p.327)。同社は、それらを他社に先駆けて製品化したものの、さらなる高機能化や大量生産に膨大な投資が必要となったことから、方向転換をして不織布の製造に挑戦することにした。同社は、1956年に応用研究の補助金を獲得して研究開発をスタートすると、試行錯誤の末の1961年に乾式不織布の生産を開始した。そうしてつくられた不織布は「ボンリック」10という商品名で販売された(日本経済新聞, 1992)。その最初の用途は、文明堂のカステラの表面紙であった(通商産業省四国通商産業局, 2000)。
金星製紙は、1992年に、日本生活協同組合連合会(以後、生協連と呼ぶ)から「使用済みペットボトルのリサイクルができないか」と持ちかけられた(山口, 2001)。それをきっかけに、回収ペットボトルから再生されたポリエチレンテレフタレート(PET)樹脂を原料とする不織布を開発した11。これも、国内の不織布産業において初めての試みとなった。同社は、まず台所用水切りゴミ袋「エコ・ボンリック」の製品化に成功し、以後、フローリングワイパー、掃除機用紙パック、換気扇用フィルター、各種包装材へと用途を拡大した。
金星製紙は、現在、食品用包装資材としてのトレーマットや水産プレートのためのドリップシートの日本国内市場におけるトップメーカーである12。トレーマットや水産プレートでは、魚や肉から滲み出たドリップを吸収するだけでなく後戻りさせない機能が不可欠である。同社のドリップシートには、レーヨン繊維をケミカルバインダーで結合したケミカルボンド不織布、合成繊維とレーヨン繊維を高圧水流で交絡させたスパンレース不織布、パルプと合成繊維と熱融着繊維を熱によって結合させたエアレイド不織布がそれぞれ用いられている。同社は、1961年のボンリック販売以降、乾式不織布の用途開拓を進め、その後にドリップシートの製造を行うようになった。そうして長い年月にわたって製品開発を継続した結果、ドリップ量、サイズ、形状の異なる多様な食材に対応できる「単層品(1枚もの)」「複合品(フィルム+不織布)」「台紙」「吸水用ロール」の4タイプのドリップシートをラインナップして、市場シェアを拡大してきた(金星製紙, 2021)。
金星製紙は、現在、繊維を熱で融着する「サーマルボンド」、ケミカルバインダーで繊維ウェブを接着する「ケミカルボンド」、高圧水流で繊維ウェブを結合する「スパンレース」、空気中に熱融着繊維とパルプを分散させつつ熱で結合する「エアレイド」の4つの製法にまつわる製造設備を有している13。これらを4つとも保有する不織布メーカーは、日本国内では金星製紙以外にほとんど見当たらない14。さらに、不織布を貼り合わせるホットメルト接着、不織布を切断するトムソン・スーパーカッター、金型を用いて不織布を打ち抜く高速トムソン、不織布を巻き取る小巻ロール機、不織布を袋状に加工する製袋機などの加工設備も充実させている(金星製紙, 2021)。同社は、どの設備も小回りが利くよう小規模にとどめ、それらを自社工場で自在に組み合わせてライン化することで、不織布原紙から加工商品におよぶ多様な製品群の一貫製造を可能としている15。同社は、株式会社ヒカリ加工と株式会社アサヒ加工の2つの加工会社も活用して、顧客のニーズを掘り起こしつつ、顧客と共に新商品を考え、どこよりも早く開発できるようにしている。
以上で述べた同社の不織布事業にまつわる戦略の出来事年表を表2に示す。同社は、そうした歴史的経緯を踏まえて、ユニークな組織アイデンティティを形成している。Albert and Whetten(1985)の定義に基づいて整理すると、その内容は次の通りである16。
年 | 出来事 |
---|---|
1917 | ①三浦商工株式会社として創業 |
1951 | ②三栄製紙株式会社として設立(1953年に金星製紙株式会社に改称) |
1956 | ③国内で初めて国産設備による乾式不織布の製造に成功 |
1961 | ④ケミカルボンド不織布「ボンリック」の生産を開始 |
1972 | ⑤ケミカルボンド不織布の製造設備を新ラインとして導入 |
1977 | ⑥サーマルボンド製法の導入と台所用水切ゴミ袋「ボンリック」の開発 |
1989 | ⑦日高工場を建設し、スパンレース・サーマルボンド併用の不織布設備を導入 |
1991 | ⑧生協連と共同でペットボトル再生原料を使用した台所水切ゴミ袋「エコ・ボンリック」を開発、翌年より販売を開始 |
1995 | ⑨土佐市に加工専門子会社の株式会社ヒカリ加工を設立。コーヒーフィルター、トレーマットなどの自社ブランド商品を中心に付加価値の高い川下分野を重点強化 |
2000 | ⑩高岡郡日高村に加工専門子会社の株式会社アサヒ加工を設立 |
2002 | ⑪海外の大手紅茶メーカーと共同で新しいティーバッグの開発に着手。そのために日高工場の敷地内に新工場を建設し、エアレイド不織布の製造設備を導入 |
2012 | ⑫フィルム製造ラインを導入。透湿フィルムを生産 |
2015 | ⑬日高工場にホットメルト貼り合せ設備を導入 |
(出所)金星製紙(2021)、収集資料、聞き取り・インタビュー調査をもとに筆者作成。
我々はどのような存在か:国産設備を使用し、日本で初めて乾式不織布を製造した100年の歴史を持つ不織布メーカーである。
我々はどのようなビジネスを行っているか:不織布の原紙製造から最終加工まですべての工程を保有しており、それらを駆使して、顧客との共同開発のみならず自社ブランドの確立や新商品の開発を積極的に行っている。
我々は何になりたいか:顧客のニーズをつかみ取り、顧客と共に考え、共に議論し、行動する、すなわち「相談すれば、何かすぐ新商品を開発してくれる会社」でありたい。
そうした同社の組織アイデンティティは、Albert and Whetten(1985)の3つの基準にしたがえば、次の特徴を備えていると考えることができる17。
宣言性:不織布の原紙から加工商品まで一貫製造を可能としていることから、原紙のみならず二次加工、複合化、製品化まで顧客のあらゆる要望に応える体制を整えている。
識別性:ケミカルボンド、サーマルボンド、スパンレース、エアレイドの4つの不織布製造設備とさまざまな加工設備を柔軟に組み合わせて、高機能かつ高付加価値の商品をすぐに開発・製造することができる。
時間的連続性:乾式不織布の製造を開始してから、時代に応じて新しい不織布製品を開発するとともに、再生PET繊維使用不織布や合繊エアレイド不織布の分野で競争優位を確立してきた。
以下では、同社の不織布事業の戦略を縦断的に捉えつつ、戦略とアイデンティティの相互関係性の観点から、組織アイデンティティの内容の形成について見ていく。
金星製紙は、1991年から1992年にかけて、日本で初めて、ペットボトルの再生資源利用による不織布の製造と実用化に成功した(山口, 2001)。同社は、それから現在まで、使用済みのペットボトルから抽出したポリエステルの再生繊維を100%原料とする不織布を製造するとともに、水切りゴミ袋、ハンドワイパー、ハウスダストワイパー、掃除機用の紙パック、キッチンクリーナーなどの最終商品へ加工して販売する事業を手掛けている18。また、日本国内のペットボトル再生資源利用の台所用水切りゴミ袋用品の分野でシェア1位を獲得し続けており、持続的競争優位を確立している。
同社が、そうした事業に取り組むことになったのは、高知市と生協連の両方から、使用済みペットボトルの再利用について相談されたからである。当時、高知市と生協連のどちらも、使用済みペットボトルの処理に困っていた。それまでは、ペットボトルを再利用するプロセスでガスが発生してしまうために熱処理が難しいことから、主として粉砕して埋める廃棄処理にとどまっていた(日本経済新聞, 1992)。
高知市は、回収済みのペットボトルを砕いて減容する工場を持っていたものの、当時は再生資源利用の用途に目処が立たず出口を見つけられずにいた(通商産業省四国通商産業局, 2000)。そこで、1990年頃に、金星製紙に再生資源利用としての用途開拓を依頼することにした。1992年になると、生協連からも、同様の依頼があった(山口, 2001)。生協連は、ペットボトルの回収運動に乗り出しており、それを定着させるべく再生資源利用製品の出口を模索していたがそれを見出せずにいた(日本経済新聞, 2000)。多くの製紙会社に声を掛けたものの、採算性を理由にどこからも断られていた。
金星製紙は、当時の社長の寺尾和三による「これからは資源を有効利用する時代だ。伝統的な紙作りの技術を生かしながら、ペットボトルを用いた不織布作りに挑戦しよう」という決断から、生協連の依頼を引き受けることにした(日本経済新聞, 2000)。同社は、かねてから、「大企業が参入しにくい高付加価値商品のニッチ市場を開拓するとともに、そこであえて難しい多品種・小ロット生産を行うことで顧客の要望に応えつつ、競争優位を築く」とする戦略の基本方針を打ち出していた19。当時は、その成功から、主力の不織布の原紙と加工品の売上が大きく伸びており、当面は新市場の開拓に迫られていなかったものの(山口, 2001)、好機と捉えてやってみることにした。
金星製紙は、使用済みペットボトルの再生資源利用製品として、まずは台所用の水切りゴミ袋を手掛けることにした。というのも、すでにレーヨン繊維を原料にした水切り袋を生協連に納めていて、販路が確立されていたからである(日本経済新聞, 2000)。その製品化に際して、ペットボトルの破砕、ペレット化、繊維化、成型などの段階的な工程が必要となった(日本経済新聞, 1999)。しかし、当時は体制が整っていなかったことから、生協連や外部の処理業者と共同しながら水切りゴミ袋の製品開発を進めた。その結果、次の工程群からなる再生PET繊維使用不織布と水切りゴミ袋の製造工程を開発した(日本経済新聞, 1992;日本経済新聞, 1999)20。
【工程1:破砕】ペットボトルからキャップやラベルを取り去り数ミリ単位に破砕する
【工程2:溶融・紡糸】破砕したチップを溶かしながら比重差を利用してポリエチレンを分離しつつポリエステル分を繊維に加工する
【工程3:サーマルボンド製法】再生ポリエステル繊維は接着性が乏しいため、熱融着繊維と混ぜ合わせ加熱・加圧することで不織布を製造する
【工程4:成形】ポリエチレンとポリプロピレンを混ぜて150度に加熱して成型する
初期の頃は、上記の第3工程で、熱融着繊維を混入していたために、再生ポリエステル繊維比率が40%にとどまっていた(山口, 2001)。それでも、熱したロールの上に再生ポリエステル繊維をいかに決まった厚さに均質に敷き詰めるかが、難しい課題となった(日本経済新聞, 1999)。同社は、土佐和紙の手漉きをルーツとしていたことから、水に溶けたコウゾやミツマタなどの繊維を竹製の簀を敷いたケタで均質にすくい取る手法からヒントを得ることができた(日本経済新聞, 2000)。それで、再生ポリエステル繊維と熱融着繊維のコンポジットとしての不織布を実現した。
金星製紙が開発した再生PET繊維使用不織布は、製造コスト、販売価格とも一般的なレーヨン製より約10%高かった(日本経済新聞, 1993)。それでも、環境資源問題に配慮した商品という点が消費者に評価されて需要が急増した。同社はそれに対応すべく増産した水切りゴミ袋を生協連のルートで「エコ・ボンリック」として販売し、イトーヨーカドーや西友などの大手スーパー向けにOEM供給をした。その結果、1995年度には、水切りゴミ袋が5億円を売上げて年間総売上の7分の1を占めるまでになった。そして、1997年度の生産量は260トンに達し(日本経済新聞, 1998)、1998年度の市場シェアが95%以上となった(日本経済新聞, 1999)。
このように、金星製紙は、誰もやりたがらなかった使用済みペットボトルの再生資源利用としての不織布の開発および用途開拓と量産を積極的に実施した。その結果、同社は、再生PET繊維使用不織布の草分け的存在となった(日本経済新聞, 1999)。それだけでなく、エコ・ボンリックが1993年に高知県地場産業大賞を受賞し、同社も1996年に再資源化貢献企業として(財)クリーンジャパン・センター会長賞を受賞した21。同社は、環境対応製品としての不織布の実用化に他社に先駆けて取り組むことで、高付加価値商品のニッチ市場を開拓して、中小企業としての生きる道を見いだしたのである。
5.2 合繊エアレイド不織布「エコパル」による食品用包装資材向けドリップシート現在の金星製紙の中核商品は、エアレイド不織布「エコパル」である。同社は、上述したように、不織布原紙から最終加工品までの一貫製造を可能としており、それを活用して原紙のみならず、二次加工、複合化、製品化まで顧客のあらゆる要望に積極的に応えているが22、最近では顧客の要望に応じた開発の大部分がエコパルに関するものとなっている(繊維ニュース, 2016)。それは、同社のエアレイド不織布が、天然繊維のパルプに合成繊維や熱融着繊維を混入した原料を使用する合繊不織布となっており、原料の多様な掛け合わせから多層構造を有する高機能な不織布を実現できるからである23。さらに、同社の加工技術を組み合わせることで、顧客の課題を効果的に解決できるからである。そうしたこともあって、同社は、現在のホームページのタイトルを「不織布・エアレイド不織布製造メーカー 金星製紙株式会社」としている(金星製紙, 2021)。
金星製紙は、2000年頃に、海外の大手紅茶メーカーから、新しいティーバッグの共同開発を打診された(山口, 2001)。それは、金星製紙が台湾向けに輸出していたティーバッグの不織布技術を同紅茶メーカーが高く評価したからである。そこで、金星製紙は、新しいティーバッグの量産に備えて、約20億円を投資して、日高工場の敷地内に工場を新たに建設した。そこに、デンマークのダン・ウェブ社から購入した設備を導入して、2002年1月から製造を開始した(高知新聞, 2001)。同社は、その後、他社がパルプを原料としたエアレイド不織布を製造していたのに対して、合繊原料を用いた合繊エアレイド不織布の開発に取り組んだ(安光, 2006)。というのも、水を一切使わずに安全と環境へ配慮した製造を可能としつつも、高機能な不織布を実現できるからであった。
金星製紙は、再生PET繊維使用不織布による水切りゴミ袋の成功で、省エネルギー、省資源、環境に優しい素材の活用に取り組み、温暖化防止や水汚染の軽減など地球環境のことを考えながら商品開発・販売に努めることの重要性に気がついた24。しかし、2000年には、売上高に占める同製品の割合が2割以下に下がったことから、食肉や生鮮食品の保水・吸水シートといった食品用不織布の製造販売に力を入れるようになった(山口, 2001)。それは、食品が直接触れるだけに不織布に安全性が求められるうえにマーケットが細分化しているため、他社から模倣されにくいと考えたからである。同社は、すでに、ケミカルボンド製法によるボンマットという食品用ドリップシートを市場に供給していた25。しかし、保水力のより高いドリップシートを求める市場の声に対応することと環境に配慮した生産を両立するべく、食品用不織布の製造を合繊エアレイド製法へシフトした。
金星製紙は、新工場に導入したダン・ウェブ社の製造設備を用いて、回転ドラムの中でパルプと合成繊維と熱融着繊維をかき混ぜつつ、ネット越しに空気吸引して均一に定着させながら熱をかけて融合する製造方法を開発して合繊エアレイド不織布を実現した(日経産業新聞, 2001)。それにより、水だけでなくケミカルバインダーも使用しない環境負荷の少ない製造を可能とした。さらに、太さや性質の異なる繊維を巧みにかけ合わせることで、(密度傾斜をともなう)厚み、風合い、強度を自在にコントロールして、超極細繊維不織布や三次元立体不織布などさまざまな特性を示す構造的な不織布の製造も達成した26。その結果、従来のケミカルバインダーを使うケミカルボンド製法や高圧水流を用いるスパンレース製法と比較して、より高機能で高付加価値の不織布を低コストで製造することが可能となった。
金星製紙は、こうして開発した合繊エアレイド不織布を、食品用包装資材としてのトレーマットや水産プレートのドリップシートへ応用した27。同社は、ケミカルボンド不織布やスパンレース不織布を用いたドリップシートに加えて、合繊エアレイド不織布を用いたトレーマットや水産プレートを開発してラインアップを強化した。例えばトレーマットでは、3層構造にして吸水力と保水力を高めたエコパルマット、特殊多孔フィルムを貼り合わせて急速に吸収できるスーパーマット、5層構造にしてドリップの多い食材に対応したVマット、鮮度保持機能を持つ濃色特殊多孔フィルムを貼り合わせたエコパルカラーマットなどが追加されている(金星製紙, 2021)。同社は、それだけでなく、切断や打ち抜きなどの加工技術を組み合わせて、さまざまな形状やサイズのドリップシートを用意して、顧客の幅広いニーズに応えられるようにした。その結果、ドリップの量、鮮度保持の必要性、食品のサイズ、パッケージの形状などに応じて多品種のドリップシートを低コストで製造することが可能となった。
金星製紙が、国内大手のトレーメーカーとの共同開発を進めたことによって、ドリップシートの流通量は年々増えていった。また、同社が水産プレートを高性能にしたことで、魚を産地で加工したあと水産プレートと一緒に真空パックして輸送することが可能となり、鮮魚の加工品流通の形態に画期的な変化がもたらされた28。さらには、そのことが居酒屋や回転ずしといった外食・中食の増加をもたらした(高知新聞, 2019)。金星製紙は、以上の戦略的実践から、最近になってトレーマットと水産プレートの両方で日本国内市場においてシェア1位を獲得するようになった29。また、同社は、2019年に、産業技術の発展に貢献した企業を表彰する四国産業技術大賞の「革新技術賞」部門で最優秀賞に選ばれた(高知新聞, 2019)。ドリップシートのコア技術である合繊エアレイド不織布の「エコパル」も、2018年に、東京都で開催された世界最大級の不織布の展示会「アジア不織布産業総合展示会ANEX2018」において「新製品賞」を受賞した(高知新聞, 2018)。
本論文では、4節で、金星製紙の創業から現在までの戦略を概観し(表2参照)、同社の組織アイデンティティの内容を示した。5節では、再生PET繊維使用不織布事業と合繊エアレイド不織布事業の競争戦略について述べた。本節では、それらを踏まえた上で研究設問に答えるべく、同社の時間経過をともなう戦略の構造を示すとともに、それが組織アイデンティティの内容へどのように結びついたのかを考察する。
金星製紙は、これまで、従業員数を最大でも120名程度におさえつつ乾式不織布事業を継続してきた。その間、「大企業が参入しにくい高付加価値商品のニッチ市場を開拓するとともに、そこであえて難しい多品種・小ロット生産を行う」とする戦略を踏襲してきた。それは、コストリーダーシップ戦略で優位に立とうとする大企業やアジア系企業と市場で直接的に争わずに、会社の規模に見合った収益を確保するためであった。同社は、そのために、再生PET繊維使用不織布や合繊エアレイド不織布などの、他社が簡単に模倣できず製造にコストを要する付加価値の高い製品を積極的に開発してきた。
そうした同社の戦略の全体プロセスは、表2の出来事年表と図1の出来事構造の組み合わせとして表すことができる。それは、「高付加価値商品の開発と多品種・小ロット生産」という内部プロセスを有しているということができる。また、その背後には、「小規模なままでも不織布業界で競争優位を確立して事業を永続するべく、高付加価値・高機能の不織布とその加工品を積極的に開発してニッチトップを狙う」という戦略の深いプロセスがあるということができる。そうした全体プロセス、内部プロセス、深いプロセスという戦略の3つのプロセスを踏まえると、金星製紙の戦略的出来事は組織アイデンティティの内容と図2のように結びつくと考えることができる。
(出所)表2と第4~5節の内容をもとに筆者作成。
図2の組織アイデンティティの主張(センスギビング)のうち、(2)と(3)は、同社の社長の竹之内渉が意味づけを行いつつ提示したものである。同社の歴史では、会社設立後に社長に就任した寺尾和三が再生PET繊維使用不織布の開発の意思決定を行い、次の社長の安光保二が合繊エアレイド不織布の開発を判断した。現社長の竹之内渉は、二人の先代社長がそれぞれに決断し組織的に実践してきた戦略に対する深い理解(センスメイキング)のもと30、組織アイデンティティとしての主張(センスギビング)を提示した。それは、4種類の製造装置と多様な加工装置を取り揃えつつ、それらをさまざまに組み合わせて駆使できる今だからこそ可能な内容となった。そして、顧客と共創をしながら「どこよりも良い機能を持った商品をどこよりも早く形にする」ことでニーズとシーズを巧みに結合しつつ高付加価値商品のニッチ市場を積極的に開拓することの重要性を示唆したものとなった。
竹之内渉は、そうして打ち出した主張を「金平糖型経営スタイル」31と表現して、社内外のステークホルダーに理解(センスメイキング)を促している(高知新聞, 2019)32。その際に「核となる製造や加工の技術的資源から尖った特徴のある製品が数多く生み出される」とする比喩的な説明をしてわかりやすく伝えようとしている。本研究では、そうした経営者の努力をともなう組織アイデンティティに対する従業員の理解度を確かめるために、質問票調査を補足的に実施した。その結果、組織アイデンティティの内容がよく理解されていることを確認することができた。その調査結果を表3に示す。したがって、同社の組織アイデンティティは、その内容が歴代の経営者による戦略の3つのプロセスに影響を受けているだけでなく、内容の理解(センスメイキング)と主張(センスギビング)のための相補的実践を含んでいるということができる。
従業員の特性 | 組織アイデンティティの内容に対する理解度 | |||
---|---|---|---|---|
所属 | 役職/職種 | 我々はどのような存在か | 我々はどのようなビジネスを行っているか | 我々は何になりたいか |
営業部 | 事務職 | だいたいそう思う | だいたいそう思う | あまりそう思わない |
製造部資材課 | 課長 | そう思う | そう思う | そう思う |
事業開発部 | 新入社員 | 共感している | そう思う | 共感している |
事業開発部 | 課長代理 | そう思う | そう思う | そう思う |
営業部 | 営業職 | 共感している | 共感している | 共感している |
品質保証部 | 主任 | 共感している | 共感している | 共感している |
製造部不織布課 | 工場長 | 共感している | そう思う | 共感している |
不織布第5課 | 係長 | そう思う | そう思う | そう思う |
加工グループ | 組長 | 共感している | そう思う | そう思う |
総務部 | 事務職 | 共感している | 共感している | そう思う |
(注)所属と職種が偏らないようサンプリングした従業員に、組織アイデンティティの内容に対する自身の理解度を「共感している」「そう思う」「だいたいそう思う」「あまりそう思わない」「そう思わない」の5段階で評価してもらった。
(出所)筆者作成。
金星製紙の事例研究では、さらに、次の特徴を見出すことができた。
(A)金星製紙の組織アイデンティティの形成では、「高付加価値の製品の積極的な開発によるニッチトップ戦略の追求」が深いプロセスとなっていた(将来課題(A)への解答)
(B)金星製紙は、そうした深いプロセスの影響を受けて(どのように)、自社の組織アイデンティティを(何を)、不織布のニッチ市場で持続的競争優位を確立するために(なぜ)、主張するとともに従業員へ理解を促すことで戦略の組織的遂行を動機づけている(将来課題(B)への解答)
以上のように、本論文では、金星製紙の組織アイデンティティの内容の形成を、同社の戦略の全体的プロセス、それを支える内部プロセス、その背後にある深いプロセスの観点から検討した。その結果、Ashforth and Mael(1996)が指摘したように、同社が戦略を通じて価値あるアイデンティティをイナクト・表現していることが分かった。さらに、本論文では、Gioia et al.(2013)が指摘していた組織アイデンティティ形成にまつわる将来的課題(A)と(B)に対しても、金星製紙の戦略の事例への縦断的アプローチから考察を経験的に得ることができた。
本論文では、金星製紙という日本国内の地域のユニークなニッチトップ製造企業の事例を用いて、戦略の歴史的出来事を示すとともに組織アイデンティティの内容の形成過程を明らかにした。そうした事例研究と考察に対する分析的一般化によって得た研究設問への理論仮説は次のとおりである。
研究設問:「組織アイデンティティの内容は、継続的な戦略の実践を通して、どのように形成されるだろうか」
理論仮説:組織は、戦略の長期的な遂行によって市場で競争優位を確立すると、それで得た業界における地位や存在意義を自覚的に認識するようになる。その結果、組織のトップは、戦略の継続的な実践を通じて、自分たちが業界においてどのような存在であり、何をするかをあらためて意味づけるべく、センスギビングとセンスメイキングを相補的に行って組織アイデンティティの内容を形成しようとする。そうして形成された組織アイデンティティに対するメンバーの理解が深まると、それが組織の戦略行動にとって強力な動機づけとなる。
本論文では、研究設問に対応する上記の理論仮説を、本研究の結論として位置づける。
また、本研究の理論的含意と実務的含意は次のとおりである。
理論的含意:組織アイデンティティの内容の形成を考察する際に、組織の戦略実践の歴史を縦断的アプローチから検討することが有効である。その際に、組織アイデンティティの形成に結びつく戦略的出来事の連鎖を物語として再構成するとともに、それを漸進物語と位置づけて出来事年表の作成と出来事構造の抽出に基づく過程追跡を行うことが効果的である。そうした作業を通じて、組織の長期的な戦略の全体プロセスとそれを支える内部プロセスさらには背後にある深いプロセスを分析することが可能となり、それらから組織アイデンティティの内容の形成にまつわる手がかりを得ることができるようになる。
実務的含意:自社が市場で持続的競争優位を確立していれば、それに貢献した戦略の歴史をあらためて振り返ることが組織アイデンティティ形成の契機となる。その際に、戦略に対する組織のトップの信念や価値観、戦略実践にまつわる組織的経験、組織の発展の歴史と物語に関する情報を収集し、分析を試みることで、組織アイデンティティの内容を形成するためのヒントを得ることができる。そこから、時を隔てた戦略の組織的実践に共通する深いプロセスを読み取りつつ、アイデンティティ形成のための「どのように」「何を」「なぜ」を結びつけることが、組織アイデンティティの効果的なマネジメントを促す。
組織アイデンティティの内容の形成に着目した研究は、これまでにほとんどなされてこなかった。それに対して、本研究では、長い歴史をもつだけでなく原因と結果が極端かつユニークな企業の単一事例を用いて事例研究を実施した。その際に、戦略に対する長期的かつ縦断的アプローチのもと、組織アイデンティティの形成にまつわる「どのように(方法)」「何を(内容)」「なぜ(理由)」を定性的に結びつけて新しい知見を得た。それは、戦略の全体プロセス、内部プロセス、深いプロセスを踏まえて戦略的出来事と組織アイデンティティの内容の対応付けを行うことで達成された。本研究では、そうして得た上記の成果を、組織アイデンティティの形成の研究分野と戦略とアイデンティティの結びつきの研究分野の両方に対する理論的貢献と考える。
今回の事例研究では、経営幹部や部門長へのインタビューと従業員への質問票調査を行って定性的データを収集した。しかし、本来であれば、定点観測やエスノグラフィなどの調査手法を用いて、さらに深い質的データを取得することが望ましい。そうすることで、戦略の出来事に先行する意思決定やそれへの組織的対応・変化などを分析できるようになるからである。それによって、組織アイデンティティが従業員にどのように理解され、浸透したかをよりダイナミックな形で明らかにできたであろう。そうした観察をともなう調査方法を採用することについては今後の課題としたい。
本研究はJSPS科研費(研究課題/領域番号:19K01838)の助成を受けたものです。本論文の執筆にあたり2名の匿名のレフェリーの先生方から大変有意義なコメントを頂戴いたしました。金星製紙株式会社の関係者の皆様には、インタビュー調査や資料提供などで大変お世話になりました。ここに記してお礼申し上げます。