本稿の目的は、現代社会が直面する主要な問題のひとつが他者であるという認識に基づき、他者とのあらたな関わり方や共生のビジョンについて、いかに宗教学が貢献できるかを論じることにある。その際、他者を「誘惑する他者」とみなし、「誘惑」という概念の特殊性に注目する。まず、誘惑は、誘惑する側の能動性とされる側の受動性が逆転する、あるいは逆転を求める動詞であることを指摘する。さらに、この逆転は一回限りに終わらず、自他の相互転換や融解へと続く。つぎに、誘惑においては身体が重要な役割を果たしている。誘惑とはなによりも身体的実践であり、それゆえにまた偶発的である。誘惑が導くのはエロスの世界である。誘惑とそれが開示するエロスに注目することで、他者との連帯の可能性を探る。と同時に、あらたな宗教学の可能性を、オリエンタリズム批判、身体・エロスの宗教学の創出、信仰研究の深化に求める。