ファシズム期におけるペッタッツォーニの活動を分析することで、戦間期の宗教研究を明らかにする。宗教史学を単独で立ち上げた彼は、この学問を定着させるために、大学講座設置と学術誌創刊を望んだ。しかし、カトリックの近代主義者達とともに始めた雑誌は教皇庁から発禁処分を受け、講座設置も容易には実現しない。そのようなペッタッツォーニに手を差し伸べたのがファシスト政権である。ペッタッツォーニは政権によって講座と学術誌を得たことから、新アカデミー、政権への忠誠宣誓、百科事典といったファシズムの文化政策に関わることになる。さらに彼は、宗教史学におけるヴィーコの功績を強調したり、ローマを世界の宗教史の中心として理解することを提案したりするなど、ファシズムに迎合するような文章を発表する。生涯を通じてさまざまな社会運動に参加した彼であったが、ファシズム期はその空白期となっている。彼のこうした態度から、戦間期のイタリアがいかなる時代であったかを窺い知ることができる。