2024 年 98 巻 3 号 p. 25-50
宗教を、世界観とエートスをあたえる象徴の体系として定義するクリフォード・ギアツの宗教論は、現在でもしばしば肯定的に参照される。しかし多くの場合、ギアツに向けられた重要な批判は十分に検討されないし、そればかりか、ギアツの宗教論の全体像が考慮に入れられることもほとんどない。その結果、参照の形式が単調になり、ギアツの理論自体が魅力を欠くもののように見えてくる。とはいえ、非西洋地域における宗教の近代化を、西洋地域の近代化と対照しながら大胆に論じるギアツの議論はいまなお興味深い。本稿はまず、タラル・アサドの議論を敷衍しながら、ギアツの宗教論に対する批判点を確認する。つづいて相対主義や特殊主義を退け、宗教や人間についての一般的知を獲得しようとするギアツの学問的構想を明らかにする。最後に、小著『イスラームを観察する』に展開された、非西洋地域における宗教の近代化を主題とする彼の宗教論を検討したうえで、今日、批判をふまえどのような参照の仕方がふさわしいか考察する。