抄録
インドネシア東部マルク諸島の農山村では,サゴヤシの利用に付随してイモ類やバナナなどの根栽作物栽培(根栽畑作)が行われている.本稿では,こうしたいわば「サゴ基盤型根栽農耕(sagobased vegeculture)」とでも呼べるマルクの在来農業が,地域の森林景観の成り立ちにどのように関わっているのかを、サゴヤシの土地生産性と根栽畑作の経営規模の分析を通して検討した.
セラム島内陸部のManusela村で行った調査の結果,(1) 村のサゴヤシ林の生産性は,陸稲栽培の6~17倍に相当する年間353.6~530.4万kcal/haであり,サゴヤシ栽培に必要とされる農地面積が例えばボルネオ島で行われているような陸稲焼畑と比較して相対的に少ないこと,および(2) サゴへの強い依存(主食食物から得られるエネルギー量の7割以上はサゴに由来)を背景として,この地域の根栽畑作の経営規模はわずか0.22ha/世帯(アジアの陸稲焼畑の1/6~1/8程度)にすぎず,移動耕作に伴う森林伐採圧力が相対的に低いことが明らかになった.
以上の結果から,サゴ基盤型根栽農耕は,この地域に「豊かな森」が残されていることの背景要因になっていると同時に,原生林・老齢二次林を生息地とするクスクス(樹上棲哺乳類)に強く依存した山地民の森林資源利用の在り方にも何らかの影響を与えていることが示唆された.
地域の実情に即した森林管理の在り方を模索するためには地域の人びとと森との関係を包括的に理解する必要だが,本稿が試みたように,森林景観や森林資源利用とのかかわりに着目してサゴヤシ利用文化の役割を幅広い文脈のなかに捉えなおす作業は,サゴ食民と森との関係のより深い理解を可能にし,この地域における今後の森林保全を考える上でも有益であると思われる.