抄録
インドネシア,モルッカ諸島セーラム島のウェマーレ族に伝わるハイヌヴェレ神話は,Ad. イェンゼンの説によれば,根茎類などの栽培植物の起源神話として代表的であるだけでなく,根栽農耕文化に固有な世界像を表象する典型例であるとして有名である.本論では,セピック川の支流のカラワリ川上流域地方に分布するアラフンデイ族とカニンガラ族の説話のうち,ことにサゴ・デンプン採集と料理にかかわるものを選び,それらを構造分析することによって,以下の結論を得た.かれらには,今のところ根茎類の起源を説明するハイヌヴェレ型の神話は見出されてはいない.その代わりに,かれらの主食であるサゴ・デンプンの採集と料理に関わる諸説話には,あきらかにハイヌヴェレ神話と同一構造が変換されたものが見出された.このサゴヤシという植物自体の起源神話が存在しない理由は,おそらくサゴヤシという植物がニューギニア人自身によっても栽培植物とは認識されていなかったことと関連するのであろう.それでもなおかつ,そこには明らかに,貧困化されてはいるとはいえ,ハイヌヴェレ型の神話構造が見出されるのは,アラフンデイ族やカニンガラ族が本来はサゴ・デンプンを主食とはしない地域の出身者であり,低地湿原に移住しサゴ・デンプン依存の生活に適応しなければならなくなった歴史的事情を反映しているのであろう.そのために本来はイモの起源神話であったものを,サゴ・デンプン採取と料理の起源説話として変換させたのである.これを「サゴ適応」と呼びたい.しかしその適応に当たっては,本来のハイヌヴェレ型神話からの構造の貧困化と構造因子の逆転がみられる.さらには,オーストラリア白人の起源を語る説話では,構造の捻れさえ見出された.