2021 年 53 巻 p. 29-38
本稿ではヘミングウェイ作品の登場人物の指示表現研究の一環として,短編集『われらの時代に』の「医者と医者の妻」を取り上げ,言語学的文体論の立場から分析を試みた。ヘミングウェイが選択する指示表現は,ハードボイルドスタイルそのままに,一見,簡素で飾り気のないものばかりである。しかし,それが登場人物どうしの,あるいは語り手と登場人物 の心理的な距離感や関係性を示唆するうえで,料理の隠し味的な技法として作家には不可欠なものとなっていることがうかがえる。今回の「医者と医者の妻」の分析でも,作家による医師と妻の指示表現の巧みな選択と配置により,ふたりの心理的軋轢が暗示されていることが分かった。