抄録
言語論的転回(Linguistic Turn)等の学術的潮流の「転回」に対して研究者は、己の立ち位置や主張を明確に位置づけることを迫られ、その仕方によっては「転向」とややネガティブに評されることがある。本稿では、激しい主張の変化をあらわにしたヒラリー・パトナムの著作群を題材に、その志向の一貫性と、到達出来なかった目標の関係を考察する。その鍵を握るのが、パトナムが受容したと言われる「プラグマティズム」とは何かという問いであり、その核となる真理観、そして推論方法に関する検討である。それはまたパース前後期の論理的「転回(プラグマティズムの格率~プラグマティシズム宣言)」を振り返り、その隔たりをいかに埋めていくかという古くて新しい議論とも重なる。本稿では、近年活発に論考を発表している、フックウェイ、バーンスタイン、ドヴァール、ミサック、ブランダムら現代プラグマティストの言説の渉猟を通じて、アブダクション概念を手がかりに「転回」の本質を、プラグマティズムの探究を支える両輪――倫理性と論理性の全体論的解釈の可能性の中に見出していく。