史学雑誌
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明代「冊封」の古文書学的検討
日中関係史の画期はいつか
村井 章介
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2018 年 127 巻 2 号 p. 1-41

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抄録

室町幕府の首長が明皇帝によって日本国王に封じられるという、日中関係史における画期について、1402(建文4)年でなく1404(永楽2)年が正しいとする学説が有力になっている。しかしそれらは厳密な史料の読みに裏づけられた学説とはいいがたい。
根拠とする史料が原態からどれくらい隔たっているかを正確に測定しながら、一歩一歩史実を確定していくという、古文書学的な手法を用いて検証してみると、1404年説を採った場合に受封者と認定しうるのは、足利義満・豊臣秀吉の二人しか残らない。室町幕府の首長が東アジアの国際社会で日本国王として承認されるという、「封」の実質を重視する観点からは、1402年のほうがはるかに重要な画期である。皇帝が「封」の実質を実現するために発給する文書には、誥命・詔書・勅諭など、対象者のランクに応じて多様な様式が使い分けられていた。
琉球の中山・山南・山北の三王に目を転じると、三山相互、あるいは明との関係の推移にともなって、皇帝が王を「封」ずる文書のほか、暦・印・冠服などがさまざまなタイミングと順番と目的に従って与えられていく状況が観察できる。「封」をめぐる多様な皇帝文書の使い分けは琉球の場合にも認められ、しかも比較的短い間に移り変わっていた。
さらに対象を「東南夷」(東アジア~インド沿海部の諸国)に拡げて見ていくと、洪武・建文年間には「封」が最高ランクの文書「誥命」でおこなわれたのは高麗・朝鮮のみだったが、永楽年間には一変して、印とのセットで遠距離の諸国に気前よく与えられるようになる。その背景には、鄭和の大遠征に象徴されるような、天下に威と徳を及ぼそうとする永楽帝の対外姿勢があった。
最後に、琉球をふくむ日本列島地域に伝えられた史料、すなわち何通かの外交文書の原本や『歴代宝案』『善隣国宝記』という外交文書集には、明代の国際秩序の解明にとって他に換えがたい価値があることを指摘した。

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