史学雑誌
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満洲事変前後の「排日教育」問題と日本・満洲における日本人教育界
高柳 峻秀
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2018 年 127 巻 8 号 p. 52-75

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抄録

本稿は、「排日教育」問題に対する日本と満洲における日本人教育者の対応を検討することで、特に満洲事変以降日本政府や⾔論界が中華民国国民政府を批判する主要な論点の⼀つとして同問題を取り上げるようになった過程を明らかにすることを目的とする。従来は「排日教育」問題をめぐる外交交渉が注目され、教育界の活動に対する検討は不⼗分であった。
一九二八年に三民主義教育に基づく教科書が南京国民政府下の中国において編纂されるようになると、満鉄附属地公学堂日本人教員がその記述を問題視し、満鉄と協力して教科書中の排日記事を抜粋し訳文を付した数種類の「排日教科書」資料集を翌年から満洲事変前後にかけて作成・出版した。本稿ではこうした資料集が外務省や国際連盟協会によって国内外の宣伝用として利用されるだけでなく、日本国内でも販売部数と図書館での閲覧数を伸ばし多数の読者を獲得していたこと、複数の出版物で言及・引用されたこと、中国の政府とメディアも注⽬していたことを明らかにした。
また、同時期には従来中国問題に殆ど関与することのなかった日本内地の教育界、中でも全国連合小学校教員会が「排日教育」問題への対応と日華教育提携への協力を日本の各界に建議しただけでなく、国際連盟、南京国民政府、中国人教育者にもそれを打診していたことを明らかにした。満洲事変後に同会が作成した中国政府宛の建議書は日中の文化的な共通性を強調しつつ双方の教科書の改善を打診したが、同時に用意された日本政府宛と国際連盟宛の建議書では「排日教育」を満洲事変の原因と断じ、その対応を要求した。外務省もこうした教育界の活動を国際宣伝に利⽤した。
以上本稿では、三⺠主義教育の実施後から満洲事変前後に至る教育者の諸活動が、「排日教育」問題を⽇本国内に周知させる大きな要因であったことを明らかにした。

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