史学雑誌
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大宰相主義の政治指導
第一次伊藤博文内閣における陸軍紛議を中心に
塚目 孝紀
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2021 年 130 巻 8 号 p. 37-61

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抄録

1885年12月22日に創設された内閣制度は、その根拠法令たる内閣職権で首相に法令・命令(勅令)への副署義務を課すことを通して、「大宰相主義」と呼ばれる強い権限を与えていた。これは、内閣職権の後に制定された公文式でも確認されたが、公文式はこれに加えて法令の起案主体を内閣と規定したことで、執政における大臣責任制と君主無答責をより一層明確にしていた。
 首相権限が強力な形で制度化されていた一方、内閣制度創設に際し軍備編成の規模をめぐって軍部大臣人事が問題となっており、内閣制度創設後も伊藤博文首相・井上馨外相・松方正義蔵相など文官閣僚と大山巌陸相ら陸軍主流派との間で軍備構想の相違が見られた。
 かかる中で、大山陸相ら主流派が主導して進めた陸軍武官進級条例・陸軍検閲条例改正に対し、反主流派の四将軍派が定年進級の導入や検閲機関としての監軍部廃止を問題視し、主流派と四将軍派との間の陸軍紛議に発展する。軍備構想の点で四将軍派に近いと思われていた伊藤首相であったが、陸軍紛議に際しては中立的に振る舞い、大山陸相に対しては二条例の早期改正要請を副署権限を根拠に保留しつつ、陸軍主流派や文官閣僚の動向を待った上、主流派と四将軍派、及び四将軍派に親近感を有していた明治天皇の主張をそれぞれ容れた形で最終的な裁定を行った。
陸軍紛議によって伊藤首相ら文官閣僚は陸軍主流派の軍備構想を受容したが、伊藤首相はまた陸軍に対して優位性も示していた。これに加え、伊藤首相が内閣―陸軍省と明治天皇との間を調停し、明治天皇もその判断を裁可したことを通じ、大臣責任制と天皇の無答責の君主としての役割が明らかとなった。陸軍紛議の処理は内閣職権・公文式に規定された首相の法律・命令(勅令)の副署義務を課していたことに拠るものであり、同時にステークホルダーの選好の明確化を待って政治的決定を行う伊藤首相の政治指導の特徴を明瞭に示すものであった。

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