2020 年 12 巻 2 号 p. 47-58
本稿の目的は,1939年7月に「勤労者厚生保険制度要綱草案」として起草された公的年金が,1940年9月に「労働者年金保険制度案要綱」として立案されるまでの過程を描き出すことである。用いた資料は,主に国策研究会の報告書等に掲載された会議録等であり,着目したのは適用対象である。その結果,次の3点が明らかとなった。第一に,適用対象を少額所得者としていたにもかかわらず,労働者年金保険では,常時10人以上の労働者を使用する工場等に使用される労働者となったのは,確実に保険料を徴収できる対象を選択したからだった。第二に,「要綱草案」で規定された失業保険を,「制度案要綱」で外したのは,資料がなく数理計算できなかったからだった。第三に,総力戦体制下では戦時労働政策及び戦時経済政策であることが主張されたが,企画課は結局,保険技術に忠実に恒久的に機能する公的年金を創設していた。