本稿は,工場労働者の「健康」に対する関心が高まりつつあった大戦間期に,労働安全衛生に携わった工場監督官と工場医に着目し,彼らが「工業中毒」をはじめとする「職業病」にどのような関心を抱いていたかについて,『社会医学雑誌』等に掲載された当時の論考を中心に検討した。分析の結果,次のような結果が得られた。工場監督官の一部は医学的専門知に基づいて「職業病」の研究を開始し,「社会問題」化を進め,一部の工場には工場医が配置されたが,「職業病」に対応する診療体制は整備されておらず,診療自体がままならなかった。そのため,工場監督官と工場医の「職業病」に対する認識に相違が生じていた。一方で,工場監督官と工場医に共通するのは,工場労働者に対する蔑みのまなざしであり,工場労働者を教導する対象として捉えるのみならず,医学的選択という名の下で常に評価・選別する対象として扱っていたことがわかった。