近代社会は、自己調整的な市場とそれに対応する自律的市民を擬制として必要としてきた。20世紀の福祉国家は、社会的シティズンシップにより部分的市民にも財産と教養を与え、自律的で完全な市民とみなそうとした。戦後日本でも、保守党が福祉国家の建設を目標として掲げたように、社会的シティズンシップの確立は広範な社会的合意を得ていた。20世紀末以降、福祉国家が批判され、社会的目標は曖昧になる。これは、国民国家―産業資本主義―近代的家父長制というシティズンシップの基盤が変容したことの反映であった。その後市民が自律的・自発的に市民社会の諸アソシエーションに参加することが期待されたが、主体となる層は不明確である。その実現のためには、特定の人々というよりも、近代化や福祉国家政策のもとで築かれた制度的遺産をその担い手として想定し、シティズンシップを固定的ではなく人々が常に制定していくものとしていくことが求められる。