抄録
政策の背後にいかなる思想が作用し,また,政策にいかなる価値観が表現されているのかはときに不明瞭にされるが,思想の作用がなければ問題は発見できないし,解決の方向性も政策目標も決定できない。この2世紀の間の社会政策は,概括するなら古典的自由主義の社会設計から介入的自由主義のそれへの転換と描くことができるが,この転換を必然化したのは「強くたくましい」人間観から「弱く劣った」人間観への変化であった。この介入的自由主義のお節介な性格への忌避感が20世紀末以降のネオ・リベラリズムの伸張を支えたが,それ自体は目的合理性を喪失しており,社会を設計できる思想ではない。では,古典的自由主義の社会設計が不可能であり,介入的自由主義が拒否されたのだとすると,社会政策にはいかなる方向性がありうるのだろうか。本稿は人間観の逆転の可能性と,介入的自由主義の介入的な性格を修正する可能性がどこにあるかについて素描を試みる。