北岡壽逸(きたおか・じゅいつ:1894―1989)は,戦前から戦後にかけて活躍した社会政策学者である。早くから福祉国家論を展開した北岡の社会政策論の特徴は,人口問題への関心にある。1939年に創設された厚生省人口問題研究所の初代企画部長に就いた北岡の見識は,家族計画論から社会開発論へと展開する人口―厚生行政の発展に活かされた。 北岡の福祉国家論の再発見に際して,北岡と大河内一男(おおこうち・かずお:1905―1984)の対比を重視した。北岡は平賀粛学(1939年)で休職処分となった河合栄治郎(かわい・えいじろう:1891―1944)の後任として東大・経済学部の社会政策講座を担当することになった。そのことに不満を覚えた河合の弟子で,1939年当時東京大学経済学部の助手であった大河内と北岡の関係はねじれたものとなり,社会政策における立場の違いについてお互い意識しつつも,まともに議論を交わすことがなかった。