抄録
最近の社会学理論は徐々に構造やシステムといった法則に関係するものより、主体や行為など主観性に重点を置いたものに変化してきている。20世紀末の社会主義国の相次ぐ崩壊はマルクス主義の社会理論への関心を失わせた。こうしたなかで、研究者は社会の客観的形態よりも、人びとの内面の社会に焦点を当てるようになっている。20世紀の末にはマクロな社会学の理論は不人気となっていった。社会学は抽象的な理論から、具体的な問題の分析へと変化している。こうしたなかで、公共性論が社会研究に新たな視点を提供するようになる。
近年、東アジアは急激なグローバリゼーションの中で、西洋のパブリックープライベイト概念の影響を強く受けるようになっている。しかしパブリックープライベイトの聞には東アジアの公一私関係とは異なって、道徳的価値の上下関係がない。ところが、東アジアにおいては、私(ワタクシ)が私利私欲、私曲、私生児などに象徴しているように否定的な意味をもっている。この点が、西洋と東アジアの社会の根本的な相違を生み出している点でもある。この意味で、新しい社会の研究にとって、従来の公私(オオヤケーワタクシ)関係の変化をもたらしている。こうしたなかで、日本の公共性の概念は「存在」概念としてよりも、「機能」概念としての性格を強めている。本論文は、それを何よりも空間表象を通じて明らかにしようとするものなのである。