抄録
神在居集落中央部の千枚田は、中世段階では石灰岩が露出する荒れ地だったと考えられる。当時開発されていたのは西側・東側の迫田で、近世に入って仲洞川から短距離・長距離の用水路を引いて千枚田が形成された。また、水田開発と同時に畑・切畑・カヤ場の開発も進んだと考えられる。近代以降は高地部にも棚田が築かれた。この結果、斜面上に「川」「棚田」「道」「常畑」「家屋」「背山」「焼畑」「山林」「カヤ場」が展開する梼原地域に普遍的な景観が形成された。開発行為は、集落(ムラ・定住地)を中心に高地部・低地部の未開発地へ向かって田畑(ノラ・生産地)、近隣山(ヤマ・採取地)を広げようと進められ、戦後は近隣山の領域が植林化されることによって現在に至っている。神在居の歴史景観は棚田だけで構成されるのものでなく、ムラ・ノラ・ヤマの領域が複合的になって成立・発展してきた。