抄録
本稿は宗教(聖)とエンターテイメント(遊)が消費化と情報化によって接近し、その境界が消失=流動化していく現象の典型例としての東京ディズニーリゾートを分析したものである。ライアンは宗教がカジュアル化しエンターテイメント化した一方で、ディズニーランドがエンターテイメントから宗教へと接近したと指摘している。この指摘に基づき、本稿では宗教とディズニーランド、とりわけ東京ディズニーリゾートとの共通点について以下三点を抽出した。1. 再魔術化と巨大なスペクタクルとしてのエクストラヴァガンザが継続する、2. サードプレイス的空間が用意され、ゲストがそこに再埋め込みされることを可能にしている、3. ゲストはパーク情報のカスタマイズによって自分だけのディズニー、すなわち「マイディズニー」を形成し、これに基づいて自己そしてアイデンティティをメインテナンスすることが可能になる。そして、TDRがゲストに提供しているこのような環境は、リキッドモダニティが加速化する現代社会のポストモダン状況を先取り的に示していると結論づけている。