抄録
本稿の目的はHeidegger哲学の観点から観光のエートスを明らかにすることである。最初に彼のギリシア旅行記を取り上げ、観光が「滞在」の可能性を奪うという彼の経験を確認する。次に、滞在の可能性を奪うとされる企業、技術、科学的産業化という3つのものがどのような働きをしているのかをHeideggerの思索に即して明らかにする。以上によって近代の典型とも考えられる観光のエートスが主観–客観の二元論の枠組みをとり、「あるものを徴用物資として挑発すること」として示される。こうした事態が滞在の可能性を奪うのは、彼にとって滞在とは実存と同義であり、実存という人間のあり方は主観–客観の二元論に回収できないからであることが示される。それは同時に二元論を前提としている実存的真正性の議論がHeideggerの実存概念と一致しないことを意味している。それでは観光において滞在は不可能なのだろうか。この点については、滞在を可能にする観光のあり方を探索した。また最後に観光倫理学にとって技術の倫理学が導きの糸になる可能性と、そのときの課題を提示している。