2014 年 2 巻 1 号 p. 55-66
本論文は、1930年に日本政府が国際観光政策の一環として実施した米国雑誌記者団招待事業に注目する。日本政府は関東大震災後、外貨獲得と国際親善を目的として、国際観光政策に力を入れていた。とりわけ、中国に次いで訪日者数が多かったアメリカ人の誘致に注目し、米国雑誌記者団招待事業を実施した。日本政府は記者らに対し、日本が古い伝統を保持しながら近代化が進んだ国として提示されることを期待した。しかし米国雑誌記者らは独自の視点から日本を体験していた。本論文では、この両者の隔たりを分析対象とし、日本政府の観光政策と米国記者による観光地の表象を比較しながら検討する。来日記者の一人であるエレリー・セジウィック(『アトランティック・マンスリー』編集長)の記述を取り上げ、セジウィックが記述するイメージは近代化した日本ではなく伝統や古い歴史をそのまま維持する国であったことに着目する。カレン・カプランは、ツーリストの言説は旅行という特権を保持した欧米ミドルクラスの視点を普遍化させてしまう点を指摘しているが、このような傾向はセジウィックの記述でも確認できる点を論じる。