抄録
本稿は、『観光のまなざし3.0』をアーリが提唱する「移動論的転回」と関連づけて理解し、それが観光研究にとってもつ理論的意義を評価することを目的とする。まず初めに、『観光のまなざし』初版の批判者に対してアーリが3.0版でどのように応答しているかについて、アーリの「行為主体(agency)」の捉え方を軸に検討する。ここで論じたいのは、アーリが観光産業やメディアが作りだした「観光のまなざし」に対する観光客の「逸脱」や地元住民の「抵抗」の可能性を認めたことに加えて、より重要な論点として、ギブソンの「アフォーダンス」概念を援用し、人間だけでなく非人間的なモノ(技術・テクスト・物理的環境)にも、ある特定のパフォーマンスを生みだす「エージェンシー」としての力を認めたことである。次に、新たな技術の登場によって我々の知覚・行動・社会関係の様式が歴史上どのような方向へ水路づけられてきたかについて、アーリが「初期近代」と「後期近代」の代表的な移動システムと呼ぶ、鉄道交通と自動車交通を例に整理する。この作業を通して、システムから独立した人間の自律的なパフォーマンスは存在せず、そのように見えるものも別種のシステムにアフォードされている点を示す。最後に、人間のパフォーマンスを同時代の物質的システムとの相関において捉えようとするアーリの理論的立場は、「近代」を対象化するはずの社会学が、「近代」の重要な特徴であるヒトとモノの「ハイブリッド化」を忘却し、自然/社会、人間/物質の領域を分断する誤った二分法を再生産してきたことへの批判に由来することを論じる。