抄録
亜ヒ酸は環境汚染物質として慢性中毒の原因となる一方で、急性前骨髄球性白血病の特効薬として臨床応用されている。慢性ヒ素中毒を発症している患者の血中ヒ素濃度、及びヒ素治療中の白血病患者における有効血中ヒ素濃度は、共に数百nM程度と低く、通常このレベルの亜ヒ酸には殺細胞作用は無いので、いわゆる急性毒性は発現しないとされる。しかし、極微量の亜ヒ酸による“見え難い”生体作用を正確に把握することは、慢性ヒ素中毒の予防、或はヒ素治療を受けている白血病患者での副作用発現の予防などにおいて、極めて重要である。最近我々は、ヒト末梢血単球をGM-CSFの存在下in vitroでマクロファージに成熟分化させる系に、nMレベルの亜ヒ酸を添加した所、非付着性で突起を多数もつ特異なマクロファージ(arsenite-induced macrophage; As-Mp)に分化することを見出した(Int. Immunopharmacol.,4,1661-1673,2004; Toxicol. Appl. Pharmacol.,203,145-153(2005))。As-Mpは樹状細胞の細胞表面マーカーであるCD1a、CD80などは発現しておらず、マクロファージのマーカーであるCD14及びHLA-DRを強発現し、中程度の貪食能とT細胞活性化能を有していた。さらにLPS、LTA、β-glucanなど様々な外来異物に敏感に反応して大量のIL-1αやTNFαを産生放出する特徴を持っていた。また、他の微量元素や環境ホルモンなど、亜ヒ酸以外の化学物質では同様の作用は全く観察されなかった。亜ヒ酸によるこの特異な免疫撹乱作用が、ヒトにとって正か負かは現時点では不明であるが、nMレベルの亜ヒ酸がヒトの細胞に明確な作用を示した例は他にあまり報告がなく、興味深い知見である。