抄録
化合物には有機化合物と無機化合物が存在するが,その両方の性質を兼ね備えた有機金属化合物・錯体分子を総称して有機−無機ハイブリッド分子(以下,ハイブリッド分子)と呼ぶ。有機化学はもともと炭素,水素,窒素,酸素の科学としてスタートしたが,GrignardやWittigなどの先駆的研究者による有機金属化学の発見を契機としてその姿を大きく変えた。近年,有機金属化学の技術は目覚ましく発展し,周期表のあらゆる金属が利用できるまでに至っている。時代は「ほしい物をつくる」から「ほしい物性・機能をつくる」へと劇的に変化している。しかしながら,ハイブリッド分子の有用性はほとんどが合成試薬としてのものであり,系統的な生物学的応用を通じて生命科学の発展に寄与するような状況には依然至っていない。我々は,ハイブリッド分子のバイオロジーをバイオオルガノメタリクスと呼び,その展開を提唱している。これは,ハイブリッド分子では,従前の有機化合物では不可能な三次元構造を構築することができるために従前の有機化合物では困難な生物活性を示し得ることや,分子構造の適切な設計により分子標的に金属を輸送することができることを活用した新しい革新的なバイオロジーを構築しようとするものである。一方,当然のことながら,ハイブリッド分子にも毒性は存在する。しかも,その毒性学には有機化合物の毒性学も無機化合物の毒性学もそのまま適用することはできない。また,従前の毒性学では,曝露の可能性がない金属(化合物)は研究対象とはなりにくく,また実験で使用する濃度や曝露時間なども実際の事例を意識した範囲に限られた。このような限界を超え,しかもハイブリッド分子の毒性をも活用する新しい“ハイブリッド分子の毒性学”が必要である。現時点ではきわめて限られた研究例が存在するのみであるが,それらを紹介しつつこの新しい毒性学を展望してみたい。