抄録
血行力学的負荷により生じる心臓の形態構造改変(リモデリング)は心不全の臨床転帰である。心臓リモデリングの発症・進展において、活性酸素や一酸化窒素(nitric oxide: NO)と生体分子との反応により生じる親電子性の2次生成物(親電子物質)の関与が示唆されている。我々はイオウの求核性の高さに着目し、H2S/HS-による心筋保護のメカニズムに親電子シグナルの抑制が関与する可能性を検討した。心筋梗塞4週間後において、心臓は重度な心機能低下(心不全)を呈しており、心不全の重症度と比例して内因性親電子物質(8-nitro-cGMP)の産生量が顕著に増加していた。8-nitro-cGMPの蓄積は、NaHS投与により完全に抑制された。ラット新生児心筋細胞に8-nitro-cGMPを刺激すると、癌遺伝子産物H-Rasの活性化に依存して細胞老化が誘導された。8-nitro-cGMPはH-RasのCys184残基を特異的に修飾(S-グアニル化)することが質量分析の結果から明らかとなり、H-RasのCys184をSerに置換することで8-nitro-cGMP刺激による細胞老化誘導がほぼ完全に抑制された。さらに、NaHS処置により8-nitro-cGMPを介したH-Rasの活性化および細胞老化が完全に抑制され,心筋梗塞後の心臓リモデリング(線維化とアミロイドの蓄積)および心機能低下も有意に改善された。一方、H-RasタンパクのS-グアニル化が可逆的なことから、Cys184のチオール基がポリ硫黄 (-SnH)を形成することで8-nitro-cGMPを直接消去している可能性が示された。以上の結果は、タンパク質のポリ硫黄化が心臓のストレス適応・不適応を制御する本質的な機構となることを強く示唆している。