抄録
【目的】生体へのストレス負荷は記憶獲得を障害する。これは、ストレス負荷によりグルココルチコイド(GC)分泌が増加し、海馬に作用することによる。一方、亜鉛イオン(Zn2+)は、グルタミン酸作動性神経回路を構築する海馬の神経終末に存在し、神経伝達を制御するが、過剰に神経細胞内に流入すると記憶を障害することを明らかにしてきた。また、細胞外GC濃度が増加すると、細胞外Zn2+濃度が増加し、細胞外Zn2+が神経細胞内に過剰に流入し、記憶の分子基盤とされる長期増強(LTP)の誘導を抑制すること明らかにした。したがって、ストレス負荷に伴うGC分泌の増加は、細胞外Zn2+の神経細胞内への流入量を増加させ、その後の記憶獲得を障害すると考えられる。本研究では、この考えを検証した。
【方法】麻酔下ラットにおいて、透析膜プローブ付き記録電極を用いて、20分間コルチコステロン(CC, 500 ng/ml)を灌流し(2 µl/min)、40分後に海馬CA1領域のシャーファー側枝を高頻度刺激(100 Hz、1秒、4回、130秒間隔)し、LTP(CA1 LTP)を誘導した。また、細胞外Zn2+キレーターであるCaEDTA(1 mM)をCCと同時、またはCC灌流後に30分間灌流し、LTPを誘導した。
【結果】LTP誘導前にZnCl2(1 µM)を灌流すると、CA1 LTPは有意に減弱した。細胞外Zn2+濃度が神経興奮により定常時(約10 nM)の100倍程度に一定期間増加すると、その後のLTP誘導は減弱されることが示唆された。そこで、CCの前灌流によるCA1 LTPの減弱における細胞外Zn2+の関与を検討した。CCの前灌流によるCA1 LTPの減弱は細胞外Zn2+キレーターであるCaEDTAをCCと同時に灌流することにより回避された。また、CCの灌流後に、CaEDTAを灌流しても同様に回避された。以上より、CCは細胞外Zn2+のCA1錐体細胞への流入量を増加させ、その後のCA1 LTP誘導を減弱させることが示唆された。GC分泌の増加を介した細胞外Zn2+の作用をブロックすることにより、ストレスによる記憶障害を回避できる可能性がある。