抄録
多くの疫学調査から、メチル水銀 (MeHg) 等の環境化学物質がこどもの発達に及ぼす影響が危惧されている。これらは、胎児期の低用量曝露によって出生後の長期にわたり障害を残すため深刻であるが、機構解明や対策構築にはまだ多くの解析が待たれる状況である。胎児期は、化学物質に対して脆弱であると共に、様々な生理活性物質の刺激によって組織が成熟する。従って、MeHg はこれらの恒常性の撹乱を起点として組織の発達に悪影響をもたらす可能性が考えられる。我々は最近、この新たな視点のもと、代謝成分の網羅的解析であるメタボロミクスを通したアプローチを展開している。本講演では、MeHg に関する成果の一端を紹介する。
妊娠ラットに MeHg (0.1, 1 および 5 ppm) 含有水を自由に飲水させ、雌雄胎児肝臓について UPLC-TOF-MS を用いたメタボロミクスを実施した。その結果、アミノ酸、脂質、ホルモンおよびビタミンとその代謝物をはじめとする 100 種以上の生体成分が MeHg 依存的に変動することが示唆された。また、MeHg が雄児に高い感受性を示す事実と符合して、変動成分数は雄胎児の方が多かった。中でも、胎児発達に密接に関わるコルチコステロン (CORT) 代謝物の変化に顕著な性差が推定され、これと符合して MeHg は雄胎児のみで血清および脳内の CORT レベルを増加させる事実が判明した。そこで、CORTの下流遺伝子に着目し、MeHg 依存的な変動遺伝子を探索したところ、神経成熟・維持を阻害する regulated in development and DNA damage response 1 (REDD1) および hypoxia inducible factor-1α (HIF-1α) の mRNA レベルが、MeHg の用量依存的に雄胎児のみで誘導した。ラット神経細胞腫 B65 細胞での検討により、CORT は REDD1 発現増加と共に細胞生存率の低下とアポトーシス誘導を惹起することを確認した。以上の結果から、雄児が MeHg に高感受性である要因の一つに、雄胎児特異的な CORT 増加に基づく REDD1/ HIF-1α 発現誘導ならびに生存細胞への影響が寄与する可能性が浮上した。引き続き、神経障害に繋がる因子の探索を目指し、胎児脳のメタボロミクスを実施中である。