岡本太郎(1911–1996)は,戦後日本で芸術家として活動を開始し,多方面で影響を与えた。現代に果たす役割の一つとして考えられるのは,教育に対する考え方である。本研究では,民間美術教育運動の一つである「造形教育センター」への参加の事実を取り上げ,美術史に加えて美術教育史における関わりについて明らかにすることを試みた。さらに,同時期に設立した「現代芸術研究所」における考え方やメンバーを導き出し,その後の指標が構築されていた1950年代の活動を振り返る。岡本の教育活動への関与は大衆へ向けた主張であり,芸術の必要性が意識されていた。だからこそ,個という狭い範囲の中ではなく,共同体という広い範囲の中に独自の考え方を形成していくことを目指していた。教育への関心と実際の活動について明らかにすることで,岡本の本質的な理解に新しい視点が追加されることを期待する。