2022 年 6 巻 2 号 p. 85-93
本稿は、大豆生田啓友に着目し、彼が倉橋に仮託して語ろうとした現代日本の保育の理念を抽出するものである。大豆生田は、現代日本の保育実践が、子どもの主体性(自発性)と保育者の指導性の葛藤と向き合っているとし、これは、倉橋が直面していた葛藤と同質だとする。大豆生田が、倉橋に言及する際に反復的に取り上げる概念は、①誘導、②心もちへの共感である。大豆生田は、①を、保育者が主題を示すことで、子どもの原初的・断片的な生活興味に基づく「さながらの生活」に方向性を与える行為とだとし、②を子どもの瞬間的・流動的な心情的側面である「心もち」を捉え、それに肯定的な言語をもって応答するという受容的な行為だとしている。保育者の行為としての①及び②は、対象や意図性の有無などにおいて相違している。しかし、大豆生田はこれらの関連性ないし葛藤が生じる可能性について論じていない。