敬心・研究ジャーナル
Online ISSN : 2434-1223
Print ISSN : 2432-6240
保育記録論の背景にある発達観の固有性
―鯨岡峻と大宮勇雄の場合―
安部 高太朗吉田 直哉
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2022 年 6 巻 2 号 p. 75-84

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抄録

本稿は、鯨岡峻のエピソード記述と大宮勇雄の学びの物語に着目し、保育記録が記録対象として何を残すのかを決める前提には、その記録論に固有の発達観があることを示す。エピソード記述の背景には、従来の保育記録が子どもの発達の能力面にのみ焦点化しており、子どもの発達における心の面が取り上げられてこなかった、という批判がある。それゆえ、エピソード記述では、子どもが変容する様子が、保育者に心の揺れ動きとして間主観的に感じ取られた場面が記録される。発達の本質を心の育ちに見るのである。学びの物語は、一人の子どもの行動を継続的に記録する。発達の本質は文化的な実践への参加だとする、ロゴフらの社会文化的アプローチに基づく発達観に立ち、子どもの行動の変化を保育者が学び・発達として意味づけていく。二つの記録論の前提となる発達観が著しく相違するように、記録方法の選択は、記録対象・目的等の前提を考慮してなされるべきである。

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© 2022 学校法人 敬心学園 職業教育研究開発センター
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