抄録
1888年にRey-Paihadeが,ビール酵母の抽出液から「イオウを還元して硫化水素を発生する物質」を得て「フィロチオン」と名付け(後にグルタチオンと命名された)られてから115年を経ている.このグルタチオンの研究は,コーネル大学医学部生化学教授であった故Alton Meister先生とその弟子達によって画期的な発展がなされたのはまだ記憶に新しい.Meister先生がグルタチオン代謝への取り組むきっかけになったのは,蚕がなぜ桑の葉を食用にしているのかという興味からであると伺ったことがある.彼の弟子には左右田健次,産賀敏彦,熊谷英彦,谷口直之らの先生方がおられる.1986年には大阪での日本生化学会総会で「グルタチオンは今」というシンポジウムが企画され,さらに1988年千里で「Glutathione Centennial」と題した国際シンポジウムも行われた.このとき来日されたMeister先生とは,筆者は数年後の1993年,スコットランドの400年前に建てられた城を利用したホテルで開かれた「Harden Conference」でお目にかかったのが最期であった.その会議の内容を思い起こすと,いくつかの転写因子のDNA結合活性の調節が次第に明らかにされてきて,転写因子活性や細胞内情報伝達を制御するレドックスにおけるグルタチオンの重要性が大きく展開されようとする時期でもあった.