本稿の目的は、伊勢市出身の女性日本画家・伊藤小坡(1877-1968)の歴史画と自画像の制作意図と、画風の変遷の背景からみる女性日本画家の進出を明らかにすることである。本稿で着目する伊藤小坡の画風は、明治時代後期の歴史画、大正時代の自画像、昭和時代の歴史画の3種類に分類される。筆者は、こうした画風の変遷が、小坡が女性として、男性中心の日本画壇で活躍するための手段であったと考えた。そして、小坡を事例として、近代女性日本画家の画壇における活動の戦略を解明できると推測できる。
筆者はジェンダー研究の視点から近代日本の歴史画を考察したところ、明治時代の日本歴史画は男性優位の特徴があることが分かった。画業の最初期から歴史画を描いてきた小坡は、文部省美術展覧会(以下は文展と記す)の初入選をきっかけに、大正時代にかけて、女性の視点で描いた自画像制作に主軸を移した。
大正時代に小坡は歴史画の出品をしばしば試みたが、歴史的風俗を主題とした作品はほとんど選外という結果であった。このことから、筆者は、小坡が文展に向け、歴史画をやめ、良妻賢母の女性像を想起させる自画像を描くことがよりよい戦略だと考えたと捉えた。特に近代日本画壇における女性画家の立ち位置を俯瞰し、女性画家に求められた社会的な要求を理解することで、小坡の画風の変遷に対する見方を広げるものとした。小坡をひとつの事例として、近代日本画壇における女性画家の進出、参画について考証のきっかけとなるよう試みた。
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