京都先端科学大学経済経営学部論集
Online ISSN : 2758-9897
Print ISSN : 2435-046X
最新号
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経済学領域
  • 宮川 重義
    原稿種別: 研究ノート
    2024 年 2024 巻 7 号 p. 1-37
    発行日: 2024/03/27
    公開日: 2024/03/27
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス

    あのクルーグマンをして、「世界で最も偉大な貨幣経済学者の一人」と言わしめ、女性経済学者のパイオニアとして大きな足跡を残した、アンナ・ジェイコブソン・シュウォーツの生涯とその研究について論じる。ユダヤ移民の子供として生を受けたシュウォーツは貧しいながらも両親の寵愛を受けバーナード大学に進学し、ゲイヤー教授との出会いから経済学者を志すことになるが、その道は決して平坦なものではなかった。

    彼女はゲイヤー教授との出会いから、歴史データを丁寧に発掘し、読み解くという地味な作業の重要性を習う。後にNBERに職を得てそこで生涯経済学者としての仕事に専念することになるが、歴史分析を行う地道な彼女の研究姿勢に、ミルトン・フリードマンの目が留まり、共同研究を行うことになる。ここから彼女の研究者、マネタリストとしての道は大きく拓く。フリードマン自身、当時まだそれ程著名な研究成果を上げていなかったが、このシュウォーツとの共同研究はMonetary History(1963)、Monetary Statistics(1970)およびMonetary Trend(1982)の3部作として結実し、フリードマンの代表的研究となる「自然率仮説」の研究を生みだし、一挙にノーベル賞に繋がることになる。まさに、シュウォーツあってのフリードマンと言っても過言ではないであろう。フリードマンはその晩年に彼女との共同研究は最も理想的な研究であったと述懐している。本稿では彼女が最近のわが国のデフレ下の金融政策に多大の影響を及ぼしたマネタリズムの展開にどのように貢献したかを論ずる。

  • ティ キャン グェット カオ
    原稿種別: 資料
    2024 年 2024 巻 7 号 p. 39-46
    発行日: 2024/03/27
    公開日: 2024/03/27
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス

    人口減少による人手不足への解決策として、労働者の量的な確保のため、日本は外国人労働者の受入れを行っている。それに加えて、日本政府は生産性、国際競争力を向上するために、世界から高度人材の受入れを拡大する方針を示し、「高度外国人材ポイント制」などの優遇制度を次々に導入した。例えば、2012年5月には「高度外国人材ポイント制」、2017年4月の「日本版高度外国人材グリーンカード」、2023年4月に導入された「特別高度外国人材制度(J-Skip)」、「未来創造人材制度(J-Find)」が挙げられる。「高度外国人材ポイント制」が導入されてから10年経過したが、日本を選んで高度人材の数はまだ少ない。なぜ、外国人の高度人材が日本に来ていないのか、日本の高度人材の受入れ政策について概観し、高度人材誘致の現状と課題を述べ、先行事例のドイツを紹介した上で、日本への示唆を述べたい。

法学領域
社会学領域
  • 川田 耕
    原稿種別: 論文
    2024 年 2024 巻 7 号 p. 61-75
    発行日: 2024/03/27
    公開日: 2024/03/27
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス

    近世の日本列島における七夕祭は、地域ないし家族という小共同体を母体とし、それゆえに場所によって変移する子どもたちの祭りであったが、近代化が始まると都市部から急速に衰えはじめた。しかし明治時代の終わり頃から、モダンな知識人たちが、童心の理想化という大正時代の文化的・精神的な流れとも共振して、七夕祭をノスタルジックに回顧するようになる。そのような流れのなかで、多くの大人たちが、「集合的記憶」としての七夕祭の価値を見直し、子どもたちにも七夕祭を経験させたいと願うようになり、出版文化や商業活動にも七夕が物語や行事として取り込まれていった。大正時代以降、国の学校教育システムにも、国語教育や音楽教育において七夕が盛んに取り込まれるようになり、終戦直後には他の伝統行事にもまして七夕は本格的に公的教育のなかに組み込まれ、ほぼすべての国民が子ども時代によく似た七夕行事を経験するようになる。このような20世紀の前半の七夕の国民化の過程で注目されるのは、七夕祭の存立基盤が、小共同体から出版文化・商業活動へ、さらには公的な学校教育へと、ドラスティックに変転したにもかかわらず、また昭和の軍国主義の時代を経たにもかかわらず、なお七夕祭が続いた、ということである。そこに、子どもたちが七夕に遊び願い祈ることを促した、大人たちの持続的な情愛の存在を見出すことができるだろう。

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