本研究は、かつて町工場や倉庫の立ち並んでいた、準工業地域である東京都目黒区の中目黒が、アパレル販売店や雑貨および家具を取り扱うインテリア販売店、カフェやレストラン等の飲食店などが集まる、瀟洒なファッション
ストリート
化していった過程を解き明かすとともに、ファッション
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としての中目黒の固有性を示すことを目的とするものである。
ファッション
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の定義に関しては、社会学におけるファッション
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の議論に依拠している。本研究で述べるファッション
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とは、大手資本や行政主導ではなく、特定の地域の商業的発展を企図しない、洋服やアクセサリー等の「ファション」に関わる物的財を販売する店舗と、カフェやクラブ、レコード販売店等に代表される「ファション」に関連するサービス財や情報財を販売する店舗が集積する街路を指す。
本研究では、3つの研究手法を用いてファッション
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化の過程とその固有性を明らかにした。1つめは、住宅地図を用いた土地利用の分析である。ゼンリン社の発行する住宅地図を用いて、中目黒の目黒川沿いの土地利用の変遷を辿ることで、町工場の立ち並ぶ地域から、ファッション関連店舗が立地する、ファッション
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化していった過程を時系列的に示した。2つめは、雑誌メディアの分析である。住宅地図を用いて明らかにした中目黒のファッション
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化が、メディア上でどの様な表象をされていたのかを、雑誌記事を分析することで示した。これによって中目黒のマスイメージの把握を行なった。3つめは聞き取り調査を元にして、ファッション
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としての中目黒の固有性を記述した。聞き取りの対象としたのは、中目黒にて店舗を展開したオーナーと、現在川沿いに立地する店舗の店長および店員である。これらの手法を元にして、中目黒のファション
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化を明らかにした。
中目黒へのファッション関連店舗の集積の契機となったのは、1995年に出店した2店のアパレル販売店であった。それまでの中目黒には、アパレルの販売店はほとんど見られず、目黒川沿いに町工場と倉庫が立ち並び、地元の住民が通う飲食店等が散見される状況であった。
こうした先駆的な店舗が出店したのち、徐々に中目黒へとファッション関連の店舗が増加していった。この動きはメディア、特に雑誌メディアが目をつけ、中目黒に関した特集記事が組まれるようになっていった。2000年代に入ると、アパレルは勿論のこと、インテリアや飲食店も含めたファション
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として言及されていった。
中目黒のファッション
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化の礎を築いた人物たちは、各々の文化的な経験や、海外への買い付け等も行う様々な事業展開を行なった経験を経ており、彼らが培ったコンセプトを体現できる場所が中目黒であった。
中目黒が他地区のファッション
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と異なるのは、衣・食・住を包括したライフスタイルとしてのファッション
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という点である。これらを体現した店舗が、目黒川沿いに点在的ながらも集積していったことが、現在の中目黒の固有性を生み出していった。
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