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クエリ検索: "モンソー公園"
14件中 1-14の結果を表示しています
  • ピラミッド論争の分析から
    *荒又 美陽
    人文地理学会大会 研究発表要旨
    2002年 2002 巻 406
    発行日: 2002年
    公開日: 2002/11/15
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに都市景観が受容されるとはいかなることであろうか。景観は、一方では主体の認識に関わる側面、他方では社会や文化の創造物という側面から論じられてきた。しかし、社会や文化の産物を主体としての人間が受容する過程と、そこに存在する文化的・社会的特性については、いまだ解明されているとは言い難い。本研究では、一つの景観が形成されたとき、それがいかに社会に受容されていくかを、ルーヴル美術館のガラスのピラミッドを事例に考察する。ガラスのピラミッドは、1980年代に実施されたルーヴル美術館の改修工事、グラン・ルーヴル計画の一環として建設された。1984年1月、計画が公表されてまもなく、フィガロ紙は第一面に「ルーヴルに場違いな(incongru)ピラミッド」という見出しを掲げた。しかし現在、ガラスのピラミッドは、「場違い」であるどころか、ルーヴルのシンボル、あるいはパリを代表する景観の一つとして受容されている。本研究では、ガラスのピラミッドの建設をめぐる論争をもとに、フランス社会が新たな景観をいかに受容するかを考察する。2. 既存景観との比較による正当化受容の論理を探るために、まずピラミッド建設に賛成する人々が建設を正当化するレトリックに注目したい。そこでは、ガラスのピラミッドの機能や利便性(拡張した美術館の入り口であり、自然光とヴォリュームを取る役割を果たしている)を評価するだけでなく、景観としてのふさわしさが主張された。具体的には、まず、既に存在しているモニュメントのなかで「場違い」とみなされたものが参照され、ガラスのピラミッドと比較された。例えば、コンコルド広場のオベリスクは、エジプトから持ち込まれたにもかかわらず、今日のパリにいかに溶け込んでいるかが主張された。また、建設予定地であるルーヴルの中庭を公園あるいは庭園に見立てた発言もあった。例えば、
    モンソー公園
    などに装飾としてピラミッドが置かれている事実を指摘し、ルーヴルにピラミッドを設置することに違和感はないと主張したのである。これらの主張は、フランスに既に存在する景観と対比することによって、ガラスのピラミッドを正当化するものであった。3. 歴史的事実との比較による正当化次に、賛否双方の論者が、フランスにおける過去の歴史的事実を頻繁に参照したことに注目したい。例として、実物大模型の展示(1985年5月)をめぐる論争を挙げる。実物大模型の展示は、ガラスのピラミッドが景観に与えるインパクトを確認するために、主に反対派が要求したものだった。しかし、その根拠として、凱旋門やオベリスク等、既に存在するモニュメントについて実物大模型の展示が行われていたという史実が挙げられたのである。実施後には、逆に賛成派が同じ史実を利用し、ガラスのピラミッドの正当性を主張する根拠とした。また、設計者イオ・ミン・ペイが外国人だったことに対するナショナリスティックな反発に関しても、史実の参照が行われた。参照されたのは、ルイ14世によるルーヴル宮殿の拡張計画に絡んだ出来事である。ルイ14世はイタリア人のベルニーニに依頼したのだが、これがフランス人建築家たちの反発を招き、結局ベルニーニの案は採用されなかった。この史実を参照し、古典主義的な建築であるルーヴルにイタリア・バロックの様式を折衷させることへの嫌悪になぞらえて、反対派はペイの斬新なプランを批判した。他方賛成派は、絶対王政時代を引き合いに出すことで反対派の時代錯誤を糾弾した。ここでも、フランスの歴史的事実の中に参照点を見出すことで、双方が主張の正当化を図ったのであった。4. 文化の参照と受容 現在あるいは過去に参照点を見出すことによる正当化は、論争の中に広く見られる現象であった。争点となる「景観」が、既にフランスに存在するか、あるいは過去に存在したことが正当化の論拠となったのである。中には、「オベリスクが外から持ち込まれたものであるのに対し、ガラスのピラミッドはフランスで作られるのであるから正当だ」という強引な主張もみられた。新たな景観は、「場違い」で異質なものではなく、「フランス的」であることが常に要求されるのである。実際、この要求は論争のレトリックの中にたえず提出され、ガラスのピラミッドは、結果として既存のフランス文化に多くの参照点を見出したのである。したがって、ガラスのピラミッドという新たな景観が、革新的であるがゆえに受け入れられたと考えるだけでは十分とはいえない。それは、フランス文化に参照点を見出し、「フランスの」景観として成立したがゆえに、つまり、文化的な正統性が読み込まれたがゆえに受容されたのである。このプロセスは、パリという都市が歴史的な街区と革新的な建造物を共存させる仕組みを考えていくときに重要な枠組みを示している。
  • 佐々木 邦博
    造園雑誌
    1987年 51 巻 5 号 43-48
    発行日: 1987/03/31
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
    19世紀中葉に実施されたオスマンによるパリ改造計画には緑地計画が重要な一部門として含まれている。緑地をその規模により三種類に区分して考え, それぞれをバランスよく市街地及びその周辺に配置した。一つのシステムとしてとらえられていたのであり, 緑地システムの実現においせは世界でも最も初期の例の一つであろう。そこでこの緑地計画の理念, 及び緑地がどのように利用され, 社会生活に影響を及ぼしたかを考察する。
  • 岩崎 渉
    学術の動向
    2020年 25 巻 4 号 4_19-4_23
    発行日: 2020/04/01
    公開日: 2020/08/28
    ジャーナル フリー
  • 牧 大次郎
    日本庭園学会誌
    2007年 2007 巻 17 号 7-12
    発行日: 2007/08/31
    公開日: 2011/05/20
    ジャーナル フリー
  • 中村 成人
    風力エネルギー
    2017年 41 巻 1 号 150-153
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/07/11
    ジャーナル フリー
  • 牧 大次郎, 鈴木 誠, 杉尾 伸太郎
    ランドスケープ研究
    2006年 69 巻 5 号 339-342
    発行日: 2006年
    公開日: 2007/11/13
    ジャーナル フリー
    French landscape architect Henri Martinet (1867-1936) is well known as the landscape designer of Shinjuku Gyoen National Gardens (1906). But there are only few historical records on the planning and design of this garden or his profile in Japan. Through the research in France, we found Martinet was a successor of Edouard Andre (1840-1911) who was the leader of French landscape architects in the late 19th century. He is also well known as the author of the famous text book on French modern landscape design LART DES JARDINS. Martinet learned from Andre and had a design style of style composite that Andre advocated in his book. Based on this evidence and through the case study of analyzing park design of Parc de Beaumont (Pau, 1896) and Parc de la Rhonelle (Valenciennes, 1901), we concluded the style of Shinjuku Gyoen National Gardens should be called composite style. And it is necessary to add Shinjuku Gyoen National Gardens to the list of the most important works of Henri Martinet.
  • 世紀転換期における「パリの絵葉書」をめぐって
    菊池 哲彦
    年報社会学論集
    2005年 2005 巻 18 号 41-52
    発行日: 2005/08/05
    公開日: 2010/04/21
    ジャーナル フリー
    This paper analyzes relations between the city, something produced by society, and its images as a social and historical productions. Here, for this purpose, I deal with the specific case of turn of the century Paris as it was depicted in the collection of picture postcards “Cartes postles illustrées de Paris”. While dealing with the problem of treating urban representation merely as a means of conveying political meaning, I propose a new approach to urban representational analysis, one that goes beyond the political or anti-political approach to the city.
  • 渡邉 雅仁, 越智 徳昌
    日本航空宇宙学会誌
    2009年 57 巻 670 号 313-318
    発行日: 2009/11/05
    公開日: 2019/04/22
    ジャーナル フリー
  • 黒田 長禮

    1934年 8 巻 38 号 254-275
    発行日: 1934/04/30
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 佐々木 邦博
    ランドスケープ研究
    1994年 58 巻 5 号 49-52
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
    1871年 (明治4年) に明治新政府は岩倉使節団を欧米諸国に派遣した。その目的の一つに各国の近代的諸制度や文物の調査があり, 帰国後に久米邦武により「米欧回覧実記」としてまとめられる。本研究の目的は明治初期に西洋諸国について記した代表的な書物であるこの著作において整備直後のパリの公園がどのように把握されていたのかを探ることにある。分析の結果, 公園は街路樹のある道や広場と一体となった姿で全体を把握された上で高く評価されていること, そして社会政策上の遂行目的とされていることが, 公園を社交の場であり美しい場所としたパリ以前に訪れた都市の公園の説明と異なり, パリの公園の特徴とされていることが判明した。
  • 日高 国幸, 松浦 由佳
    日本放射線技術学会雑誌
    2010年 66 巻 10 号 1388-1396
    発行日: 2010/10/25
    公開日: 2010/11/04
    ジャーナル 認証あり
  • 秋本 福雄
    都市計画論文集
    2014年 49 巻 3 号 1071-1076
    発行日: 2014/10/25
    公開日: 2014/10/25
    ジャーナル オープンアクセス
    「超過収用」とは、パリ改造における公共事業沿いの土地収用を意味する日本語である。この用語は、1910年代の日本に登場した、フランス語ではなく、アメリカ英語excess conde,nationの翻訳である。。石田頼房氏は、「1852年3月26日のデクレによって実施されたパリの超過収用政策は、費用回収手段として成功したこと、パリ改造は東京市区改正の理想像であったこと、東京市区改正土地建物処分規則は、デクレをお手本に、残地買上と超過収用的規定を導入したが、政府はこれに消極的で、超過収用的規定は使われなかった」と主張する。本論文は、パリ改造と東京市区改正の既存研究、及び第一次資料により、石田説を反証する。
  • 岡本 茂武
    造園學雑誌
    1927年 3 巻 2 号 87-114
    発行日: 1927/02/01
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
  • ル・コルビュジェの『ユルバニズム』との照合を通じて
    川西 光子, 中岡 義介
    都市計画論文集
    2003年 38.3 巻 919-924
    発行日: 2003/10/25
    公開日: 2017/10/01
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は、ルシオ・コスタのコンペ当選案にみるブラジリアの都市計画のコンセプトを明らかにするために、近代都市計画理論がいかに当選案に使われているかの検証の意味も込めて、当選案の解説内容とル・コルビュジェの『ユルバニズム』との照合をおこなったものである。その結果、当選案の解説から 191のキーセンテンスが抽出され、六つのカテゴリーに分けられ、≪基礎的な考え方≫の88%、≪全体の骨格≫の92%、≪機能構成≫の82%、≪技術・方式≫の56%、≪デザイン≫の87%、≪その他≫の89%が『ユルバニズム』と符合した。さらに、その符合する程度を三段階にわけると、≪基礎的な考え方≫では「全く同一」が最も多くなった。よって、ブラジリアの都市計画には『ユルバニズム』に示された都市計画の原理が随所にみられることが明らかとなった。
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