目的徳島県祖谷地方の民家は,「中の間」の奥に「ねま」という寝室がつく三間取が特徴である。先行研究は現存する上層の住宅に限られ,平面の全体像が解明されておらず,本研究は文献資料にもとづいて明治前期の住宅の平面構成について検討を加える。
方法明治17年「家屋絵図面」(旧池田町公民館蔵)には,全部で274戸の家屋の平面が綴られている。現状図をラインプランで書き上げ,「寝所」「庭」「営業所」「床」「ヲシ入」が明記され,その坪数が記入されている。この資料を精査した結果,住宅平面が判明した家屋は265戸を数え,同一時期における一村内の住宅平面をトータルに把握することが可能となる。平面図に加えて「徴発ニ供スル坪数」という記載があり,この資料の作成は,陸軍省が明治16年以降に刊行した『徴発物件一覧表』との関係が想定できる。
結果住宅の平均坪数は15.25坪であり,桁行5間半,梁間3間が平均的な規模となった。住宅平面は,
二間
取が151戸(57%),四間取が58戸(22%),三間取中の間型が43戸(16%),三間取広間型が3戸,一間取が8戸,六間取が1戸,その他の1戸に類型化できた。平面類型と総坪数合計の関係は,
二間
取は12.5坪が25戸,14坪が40戸,15.5坪が21戸,三間取中の間型は15.5坪が13戸,18.25坪が10戸,四間取は18.25坪が29戸,20坪が10戸となり,平面類型には坪数の明瞭な格差が認められた。住宅の規模が大きくなると,室数の多い平面類型となる傾向が明らかになった。四間取は約2割で上層の住宅に位置づけられ,全体の半数を占める
二間
取が当時の一般的な平面と考えられる。
[文献]三浦他;山間集落における農家住宅の住空間の変容,家政誌56,317~328(2005)
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