Ⅰ はじめに
三富新田は、1692年に川越藩によって武蔵野台地、関東ローム層のやせた土地に開発された。この地には川が無いために、当時11の
井戸
が掘られたと記されている。吉村(1943年)は、これら
井戸
の浅層地下水について研究し、集落の発達について考察した。そこで、吉村の論文を参考に、現在も残る浅
井戸
(浅層地下水)について調査研究を行った。三富新田を中心に120箇所の
井戸
を調べ、そこから23カ所の
井戸
を抽出し、月1回のペースで調査した。今回は、202308-202407の結果について報告する。
Ⅱ 調査地域
調査した23カ所は、水位の結果から、(1) 狭山市北入曽・所沢市北岩岡、(2) 狭山市の堀兼、川越市の下赤坂、(3) 三芳町と所沢市の上富・中富・下富、(4) 所沢市南永井、三芳町の竹間沢、新座市の中野地区の大きく4カ所に分けて結果を考察した。
Ⅲ 研究方法
現地では水温、気温、電気伝導度(EC)、pH、RpH,
井戸
の天端から水面までの深さ(水面の深さ)、
井戸
の底までの深さ(井底深)を測定し、この結果から水位を求めた.採水した水は、研究室でTOCとイオンクロマトグラムを測定した。
Ⅳ 結果・考察
1.
井戸
の水面の深さは、(1)狭山市の北入曾・所沢市の北岩岡)地区で、1月から3月にかけて水が枯渇する
井戸
が2カ所観察された。(3)上富・中富・下富地区では夏から冬にかけて(-10mから-22m)と大きく変動する
井戸
が、(4)南永井地区では―5mからー6mと浅い位置で変動する
井戸
が観察された。
2.測定地点の
井戸
の標高を2500分の1の地図から読み取り、
井戸
の標高を求めた(図1)。
井戸の標高に井戸
の天端までの高さを加えた値と水面の深さから、各月の水面標高を求めた。年間で10月の水面標高が最も高く、3月が最も低かった。水面標高から、10月と3月の各
井戸
の水面等高線を求めた。水面等高線は、10月には南に、3月には北にシフトしていた。水面等高線に垂直に示した矢印から、流向を求めた。
3.水温の変化を測定して(2)の地区には,水温が年間で、通常より高い、19℃から21℃で変動する
井戸
が存在した。
4.pHの変化を調査し、(4)地区の中野地区では,通常より高いpH 6.8-7.0で変動する
井戸
が存在した。イオンクロマトグラムの結果、重炭酸イオン濃度が高いことが分った。
5.ECの変化を測定し、(3)の北永井地区で、年間に、ECが350~450で推移する
井戸
が見つかった。ECの中央値と変動係数を(図2)に示した。
Ⅴおわりに
これらの結果を踏まえて、今後、各季節ごとにイオンクロマトグラムを行い、季節的に変化する、各イオン濃度の動態と農事作業との関連で明らかにしたい。また、国土地理院地図の縦断面を元図として、
井戸
の断面図の変化とボーリング柱状図を加えて、
井戸
の性質と、土壌との関係を明らかにしたい。
参考文献
吉村信吉 1943. 所沢町北東上富に於ける地下水の変化、陸水雑誌13,2-3: 55-62.
抄録全体を表示