意識の暗闇をくぐり抜けるようにして開始される始原への旅。本稿は、ひとりの少年の銀河への旅立ちをそのように捉えながら、その過程に立ち現れる<ほんとうの幸>の意味とその思想的位相を解明せんとしたものです。まず<鳥捕り>の場合—そこでは、<労働>という表象を通して、日常とその他者性の原質が問い返されつつ、あわせてそのものに向けての<書くこと>の意志そのものも問い返されます。「書くということは、なにを書くかということをはっきりわかっていて書くということではない。どうして書いていいかわからない、しかも書かなければならない」(
入沢康夫
)—その到達不能な時間のはるか彼方に向けて、ひたすらに<言葉>をつむぐこと。めくるめく<幻想の旅>のなかで、<書くこと>が不断にその<言葉>の根拠そのものを問い返えされます。次に<蝎の火>の場合—ただひとり<生者>として峻別されるジョバンニという少年。その人間の本源的なさびしさとその宿命が問い返されます。<生者>と<死者>との無限の隔たり。賢治の思想において、<言葉>とはそのものをつなぐ<いのちの通路>であり、それはまた、<書くこと>の本源において、<死者>への鎮魂そのものです。最後に、現実世界へと帰って行く少年-この世界を支える<知>の権威や<意味>のいっさいから解き放たれるジョバンニという少年。現実世界へと帰っていくその少年は、賢治の<書くこと>に重なって、<生者>としての孤絶した壮絶な戦いをはじめねばなりません。
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